野茂英雄さんの妻は、旧姓・森本の紀久子(きくこ)さんです。社会人野球の東芝でチアガールをしていた女性で、野茂さんが新日本製鐵堺のエースだった頃に知り合い、近鉄2年目の1991年に結婚しました。
子供は息子が2人。長男の貴裕さんは、2015年1月に北海道日本ハムファイターズの球団通訳になった人物です。
ただし、紀久子さんの年齢や身長、近年の写真、一家の住まいは公表されていません。この記事では、MLB公式サイトやNumber Web、スポーツ紙で確かめられる事実と、裏付けのない情報を分けて整理しました(情報は2026年10月時点)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 妻 | 野茂紀久子さん(旧姓・森本) |
| 妻の経歴 | 社会人野球・東芝のチアガール |
| 結婚 | 1990年11月に婚約会見、1991年に結婚 |
| 子供 | 2人(Takahiro・Yoshitaka) |
| 長男 | 野茂貴裕さん。2015年1月から日本ハムの球団通訳 |
| 次男 | ローマ字の名前のみ判明。漢字・年齢・職業は非公表 |
| 妻の年齢・身長 | 非公表 |
| 現在の住まい | 非公表 |
紀久子さんは芸能人でもアナウンサーでもありません。結婚前にいたのは、社会人野球のスタンドです。夫の知名度に比べると本人について報じられた内容はごくわずかですが、出会いと結婚の経緯は複数の記事で一致しています。
野茂英雄の妻・野茂紀久子さんとは?東芝のチアガールだった経歴

旧姓は森本、社会人野球・東芝のチアガールだった
Number Webの2024年3月3日の記事によると、紀久子さんの旧姓は森本で、社会人野球の東芝でチアガールを務めていました。「野茂 紀久子 東芝」と検索されるのは、この経歴があるからです。
ネット上には「パナソニックの社員だった」「関西出身」といった書き込みもあります。ただ、それを裏付ける報道は見つかりませんでした。勤務先や出身地について、本人や野茂さんが公の場で語った記録もありません。はっきりしているのは、東芝野球部を応援するチアガールだったという一点です。
馴れ初めは新日鉄堺時代の「対戦相手のチアガール」
野茂さんは大阪府立成城工業高校を卒業後、新日本製鐵堺に入社し、社会人野球で頭角を現しました。1988年のソウル五輪では日本代表の一員として銀メダルを獲得。翌1989年のドラフトでは、史上最多となる8球団から1位指名を受けています。
紀久子さんと出会ったのは、この社会人時代です。東芝は対戦相手のチームでしたが、野茂さんが紀久子さんを見初め、交際に発展したと伝えられています。
1990年に近鉄バファローズへ入団した野茂さんは、1年目から18勝を挙げ、最多勝・最多奪三振・最優秀防御率を独占。新人王とMVP、沢村賞まで手にしました。その年のオフ、11月に開いたのが紀久子さんとの婚約会見です。結婚はプロ2年目の1991年で、Number Webによると野茂さんは23歳でした。
野茂英雄の妻・野茂紀久子さんの年齢・身長は公表されている?
年齢も身長も、公式な数字は出ていません。検索すると具体的な数字を載せたサイトも見つかりますが、出典を示しているものはありませんでした。
野茂紀久子さんの年齢は非公表。「姉さん女房」とされる根拠
紀久子さんの生年月日は公になっておらず、「現在○歳」と言い切れる資料はありません。
年上の妻、いわゆる姉さん女房として紹介されることは多く、先ほどのNumber Webの記事も、日本人エースと姉さん女房の歴史をたどる企画の最初に野茂夫妻を取り上げています。とはいえ、何歳差なのかを示した一次情報は見当たりません。年齢差を具体的に書いた記事を見かけても、出典がなければ参考程度にとどめておくのが安全です。
比較の目安として、野茂さん本人は1968年8月31日生まれ。2026年10月時点で58歳です。
野茂紀久子さんの身長も公表されていない
身長も同じく非公表です。婚約会見の写真は残っているものの、隣に立つ野茂さんは身長188cmの大柄な体格で、並んだ姿から背丈を推し量るのは無理があります。出回っている数字は、出典のない推測と考えてください。
野茂英雄の妻の現在と画像

野茂英雄の妻の画像は1990年の婚約会見が中心
紀久子さんの姿を確認できる写真として、よく知られているのは1990年11月の婚約会見です。先に紹介したNumber Webの記事にも、時事通信の写真として、野茂さんと並んで会見に臨む森本紀久子さんの姿が載っています。
それ以降、夫婦そろってメディアに登場した写真はほとんど出回っていません。紀久子さん本人のSNSアカウントも見つかりませんでした。「最近の紀久子さん」として拡散されている画像の中には、別人や出どころの分からないものが混じっている可能性があります。
野茂英雄の妻の現在がほとんど伝わらない理由
紀久子さんの近況が伝わらないのは、一家が一貫して家族を表に出してこなかったからです。
野茂さん自身、現役時代から報道陣と一定の距離を保つ選手でした。メジャー1年目の1995年9月には、ブルペンでの投球を撮影しないよう報道陣に求めたこともあると、当時の担当記者がNumber Webの連載で振り返っています。家族について自分から語る場面はさらに少なく、その姿勢は引退後も変わっていません。
ネット上では、野茂さんが「妻を取材したら野球を辞める」と言い切ったという逸話が広く引用されています。ただ、発言の日時や場所を一次資料で確かめることができなかったため、この記事では事実として扱っていません。
長男の貴裕さんも、2015年のインタビューで写真を撮られるのは苦手だと話していました。表に出ることを好まないのは、一家に共通した姿勢なのかもしれません。紀久子さんがいまどんな暮らしをしているのか、野茂さんの仕事に同行しているのかといった点は、どの報道にも出てきません。
野茂英雄の子供は何人?妻・紀久子さんとの間に息子2人
MLB公式プロフィールに記された2人の名前
「野茂英雄の子供は何人?」という疑問には、MLB公式サイトの野茂英雄プロフィールがはっきり答えています。経歴欄の冒頭にあるのは、”he and his wife, Kikuko, have two children, Takahiro and Yoshitaka” という一文です。妻の名前がKikuko、子供は2人で、名前はTakahiroとYoshitaka。これが公式に確認できる家族構成です。
国内では長男・貴裕さんの存在が報道で知られており、2人とも男性に多い名前であることから「息子2人」と紹介されるのが一般的です。娘がいるという情報は、確認できる資料のどこにも出てきません。
野茂英雄の子供は何歳?長男と次男の年齢
長男の貴裕さんは、2015年1月のNumber Webのインタビューで22歳、同じ年の9月のデイリースポーツの記事では23歳と紹介されています。この2つの年齢から逆算すると1992年生まれで、2026年10月時点では34歳になります。
次男のYoshitakaさんは生年が公表されておらず、年齢は分かりません。MLB公式の経歴には2004年シーズンまでの記述しかなく、その時点ですでに「子供2人」と書かれています。
| 項目 | 長男 | 次男 |
|---|---|---|
| 名前 | 野茂貴裕(Takahiro) | Yoshitaka(漢字は非公表) |
| 生年 | 1992年(報道上の年齢から算出) | 非公表 |
| 2026年10月時点の年齢 | 34歳 | 非公表 |
| 経歴 | 2015年1月から日本ハムの球団通訳 | 非公表 |
野茂英雄の息子・長男・野茂貴裕のwiki風プロフィールと経歴

野茂さんの家族の中で、本人の言葉がまとまって残っているのは長男の貴裕さんだけです。2015年に球団通訳となった際には、言葉を選びながらゆっくり話す様子や控えめな物腰が、父親によく似ていると記事になりました。
野茂貴裕のwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 野茂貴裕(のも たかひろ) |
| 続柄 | 野茂英雄さんの長男 |
| 生年 | 1992年(報道上の年齢から算出) |
| 体格 | 174cm・113kg(2015年1月時点) |
| 学歴 | 都内のインターナショナルスクール(小・中・高)、米メンロー・カレッジ(スポーツマネジメント専攻) |
| 野球歴 | 中学・高校でプレー。ポジションは一塁 |
| 職歴 | 2015年1月から北海道日本ハムファイターズの球団通訳 |
| 現在 | 公表されていない |
東京のインターナショナルスクールから米メンロー・カレッジへ
貴裕さんは、小学校から高校まで都内のインターナショナルスクールに通っていました。授業も教科書も英語でしたが、家での会話は日本語だったと、Number Webの野茂貴裕さんインタビューで話しています。
小学生の頃は父とキャッチボールをする程度で、野球に本気で興味を持ち始めたのは6年生くらいから。チームに入ってプレーしたのは中学と高校の間で、ポジションは一塁でした。高野連に加盟していない学校だったため、対戦相手は別のインターナショナルスクールや米軍基地内の学校。甲子園を目指す環境ではなかったわけです。
大学はサンフランシスコ近郊のメンロー・カレッジに進み、スポーツマネジメントを専攻しました。将来は球団経営に関わる仕事がしたいと考え始めたのは、2年生の終わり頃だったそうです。
父がドジャースへ渡った1995年、貴裕さんはまだ3歳でした。父親の姿をはっきり覚えているのは、メッツやブルワーズでプレーしていた小学4〜5年生の頃から。夏休みは毎年2カ月ほどアメリカで過ごし、ホームゲームがあれば球場へ応援に行っていたといいます。
日本ハム球団通訳としての仕事ぶり
大学を卒業した貴裕さんは、日本ハムの通訳募集に応募して試験に合格し、2015年1月に就任しました。
1年目の様子は、デイリースポーツの2015年9月の記事が詳しく伝えています。4月には札幌ドームのお立ち台でヒーローインタビューの通訳を担当し、数万人の観客を前に足が震え、眠れなかったと振り返りました。外国人選手に何かあればすぐ駆けつけ、来日した家族の世話や、体調不良を訴えた人の付き添いもこなす。休日に仕事が入って予定を取り消すこともしばしばで、慣れないうちは先輩通訳に助けてもらっていたそうです。
それでも、野球に関わる仕事に就けたことを素直に喜び、チームが勝つのがいちばんうれしいと話しています。同じ年に加入したブランドン・レアード選手からは、食事に誘われる間柄でした。レアード選手は夏場から本塁打を量産し、9月8日の時点でチーム2位の27本塁打を記録しています。
在籍期間を「約3年」とする記事は多いものの、球団による退団の発表は見つけられませんでした。その後の勤務先や、現在の仕事も公表されていません。
父の背中から受け取った「一度決めたらやり通せ」
貴裕さんによると、父から野球を言葉で教わったことはほとんどありません。チームに入ってからは監督やコーチに任せるという態度で、こちらが聞かない限り何も言わなかったそうです。
そんな父から学んだこととして挙げたのが「一度決めたらやり通せ」でした。口で言われたのではなく、多くを語らない父の背中を見て感じたものだといいます。
偉大な父を持つ苦労にも触れています。少し上手なくらいでは周囲に認めてもらえず、父と比べられて嫌な気持ちになったこともあったと、デイリースポーツの取材で明かしました。アメリカで日本人駐在員らの草野球リーグに参加していた頃は、名乗れば特別視されることにも慣れていて、普通に接してほしいと周りに伝えていたそうです。通訳就任がニュースになったことについても、自分は選手ではなく裏方なのに、と苦笑まじりに話していました。
野茂英雄の息子・次男・Yoshitakaさんについて分かっていること
次男について公式に確認できるのは、MLB公式プロフィールに載っている「Yoshitaka」というローマ字の名前だけです。
ネットでは「義孝」という漢字が当てられていることが多いものの、この表記を裏付ける報道や公式資料は見つかりませんでした。年齢も学歴も職業も、公表されていません。学歴についての説も出回っていますが、根拠となる記事は見当たりません。
兄の貴裕さんが通訳として球界の表舞台に立ったのに対して、次男はメディアに登場した形跡がありません。2015年に貴裕さんが受けたNumber Webとデイリースポーツの取材でも、弟についての話は出てきませんでした。一般人として暮らしていると考えられ、本人が明かしていない以上、あれこれ詮索するべきではない部分です。
野茂英雄の現在と家族

野茂英雄の家族構成と年表
野茂さんの家族は、妻の紀久子さん、長男の貴裕さん、次男のYoshitakaさんの4人です。離婚や再婚を伝える報道はありません。家族に関わる主なできごとを時系列でまとめると、次のとおりです。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1990年11月 | 森本紀久子さんとの婚約会見 |
| 1991年 | 結婚(野茂さんは近鉄2年目) |
| 1992年 | 長男・貴裕さん誕生(報道上の年齢から算出) |
| 1995年1月 | 阪神・淡路大震災。野茂さんは当時、神戸市内に住んでいた |
| 1995年2月 | ドジャースと契約。長男は本人の記憶で3歳 |
| 2015年1月 | 長男が日本ハムの球団通訳に就任 |
| 2016年2月 | 野茂さんがパドレスのアドバイザーに就任 |
野茂英雄の現在の活動
2026年10月時点で、野茂さんはサンディエゴ・パドレスのアドバイザーを務めています。就任は2016年2月で、環太平洋地域での選手獲得や育成を強化したい球団に迎えられた形でした。ダルビッシュ有投手がパドレスに移籍した2021年の春季キャンプでは、フォークの投げ方などを助言する姿が報じられています。
2026年2月には、WBCに向けた侍ジャパンの宮崎合宿にパドレスのアドバイザーとして姿を見せ、ブルペンで投手陣を視察しました。日刊ゲンダイの2026年2月16日の記事によると、マスク姿で投球をチェックし、報道陣の取材には応じなかったそうです。
日米で功績を振り返る機会も続いています。2025年7月、米国野球殿堂入りしたイチローさんは、表彰式典のスピーチの中で野茂さんに日本語で感謝を伝えました。同じ年の10月には、ワールドシリーズ第3戦で古巣ドジャースの本拠地の始球式に登場しています。2026年9月には、MLB公式サイトがクアーズ・フィールドでのノーヒットノーランから30年を振り返る記事を掲載しました。本人が多くを語らなくても、野茂さんの名前が野球界で取り上げられる場面は今も少なくありません。
国内では、NPO法人NOMOベースボールクラブの代表理事として、自ら立ち上げた社会人野球チームに関わっています。2012年には拠点を兵庫県豊岡市へ移すことを発表しました。2014年には日本の野球殿堂入りも果たしています。
こうした場に紀久子さんや息子たちが同行しているかどうかは、報じられていません。
野茂英雄の現在の住まいは公表されていない
現在の住まいは公表されていません。パドレスのアドバイザーであることから「サンディエゴ在住」と書かれることもありますが、本人や球団が居住地を明らかにした事実は見当たりませんでした。
過去の住まいで報道から分かるのは、近鉄時代の1995年1月に神戸市内で暮らしていたことです。阪神・淡路大震災の翌日に東京で開いたメジャー挑戦の会見で、野茂さんは自宅周辺と連絡が取れていないと明かし、自分のところより周りの人が心配だと話していました。
もう一つ手がかりになるのが、長男の学生時代です。貴裕さんは小学校から高校まで都内の学校に通い、アメリカで過ごすのは夏休みの2カ月ほどでした。野茂さんがメジャーで投げていた時期も、少なくとも長男の生活の拠点は日本にあったことになります。「家族そろって長年アメリカ暮らし」というイメージは、この時期には当てはまりません。
よくある質問
まとめ:野茂英雄の妻・野茂紀久子の年齢身長と東芝、現在画像|子供何人何歳?次男・貴裕wikiと家族の住まい
野茂英雄さんの偉業の影には、異国の地で彼を支え続けた妻・紀久子さんと、2人の息子の存在がありました。
- 妻は元「東芝」チアリーダーの紀久子さん。
- 長男・貴裕さんは日本ハムで通訳として活躍した経歴を持つ。
- 「取材するなら辞める」と宣言し、家族の平穏を体を張って守り抜いた。
多くの言葉を語らない野茂さんですが、「野茂英雄 妻」と検索しても現在の写真が出てこないという事実こそが、彼が家族に注いだ深い愛情と、プロフェッショナルとしての流儀を物語っているのかもしれません。
出典メモ: NumberWeb(2014/11/17、2015/01/30)/Full-Count(2015/01/05)/日刊スポーツ(2015/01/05)/NEWSポストセブン(2024/03/11)/MLB.com(公式バイオグラフィー)
本文にはリンクを置かず、事実確認だけに使った資料は次のとおりです。
- Number Web 2024年7月11日(1995年9月のブルペン撮影の要望)
- Number Web 2024年6月2日(1995年1月当時、神戸市内に在住)
- ベースボールチャンネル 2016年2月12日(パドレスのアドバイザー就任)
- BASEBALL KING(2021年キャンプでダルビッシュ投手に助言)
- ABEMA TIMES(2025年ワールドシリーズ第3戦の始球式)
- 週刊女性PRIME、中央社(2025年7月のイチローさんの殿堂入りスピーチ)
- webスポルティーバ 2024年3月25日(NOMOベースボールクラブ代表理事)
- 神戸新聞NEXT(2012年に豊岡市への移転を発表)
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