石井浩郎の妻と元妻は誰?結婚・再婚と子供は何人か、息子・娘・実家・自宅まで解説

石井浩郎さんの現在の妻は、2013年10月に結婚したフリーアナウンサーの稲見幸子さんです。石井さんにとっては3度目の結婚で、最初の妻はシンガーソングライターの岡村孝子さん、2人目は元モデルの船木可絵さんでした。

子供は、岡村さんとの間に1997年生まれの長女、稲見さんとの間に2013年8月生まれの長男がいます。加えて週刊文春が、2人目の妻との間にも子供がいると報じており、その報道まで含めると3人です。

ここでは元妻との結婚と離婚、2度の再婚、息子と娘について分かっていること、八郎潟町の実家と自宅までを、公式プロフィールと報道をもとに整理しました(情報は2026年11月1日時点)。

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石井浩郎の妻は誰?現在の妻はフリーアナの稲見幸子さん

結婚は2013年10月、その2カ月前に長男が誕生

3度目の結婚が明らかになったのは2013年11月です。産経ニュースが「3度目結婚 フリーアナと」と報じ、相手が都内在住のフリーアナウンサー・稲見幸子さんだと伝えました。

入籍は同年10月。実はその前の8月に男の子が生まれており、出産を経てからの入籍という順番でした。石井さんは当時49歳、参院議員1期目の後半にあたります。

出会いはゴルフ場、選挙では夫の隣に

2人を結びつけたのはゴルフでした。2016年7月、石井さんが参院選で再選を決めた直後に産経ニュースが稲見さんを取り上げ、ゴルフ場で知り合ったフリーアナウンサーとして紹介しています。見出しは「再選支えた3人目の美人妻」。

この年の秋田選挙区は、自民党現職の石井さんと野党新人の一騎打ち。東京でアナウンサーをしていた稲見さんが、秋田の選挙戦で夫を支えたわけです。

一方、稲見さんの年齢や出身校は公表されていません。ネット上には年齢や経歴を言い切る記事もありますが、本人や事務所が明かした情報ではないので、そのまま信じないほうが無難です。

石井浩郎の結婚と再婚の相手の歴史|結婚歴は3回

回数相手結婚離婚子供
1回目岡村孝子さん(シンガーソングライター)1997年1月2003年9月長女(1997年生まれ)
2回目船木可絵さん(元モデル・レースクイーン)2006年8月時期は非公表子供がいると報道(詳細は非公表)
3回目稲見幸子さん(フリーアナウンサー)2013年10月―長男(2013年8月生まれ)

結婚した年齢は、1回目が32歳、2回目が42歳、3回目が49歳。並べてみると、どの結婚も肩書が変わる節目と重なっています。1回目は近鉄から巨人へ移った1997年1月で、巨人入団と同じ月。2回目は現役を退き、西武の2軍監督を1年務めたあとの時期。3回目は参院議員になってからです。

石井浩郎の元妻・岡村孝子さんとの結婚と離婚

縁をつないだ「夢をあきらめないで」

岡村孝子さんは1962年生まれの愛知県出身で、石井さんより2歳年上。1982年に女子大生デュオ「あみん」の「待つわ」でデビューし、1985年からソロで活動しています。

2人を語るときに外せないのが、その岡村さんの1987年のヒット曲「夢をあきらめないで」です。

石井さんは近鉄入りした直後に肝炎で入院し、プロ1年目は出遅れてのスタートでした。2019年に岡村さんが急性白血病を公表した際、石井さんは「ショックを受けている」とコメント。プロ1年目のキャンプで急性肝炎を患ったとき、この曲を何度も聴いて病気に打ち勝ったと明かしています(デイリースポーツの石井氏コメント記事)。

交際に至った細かな経緯は2人とも多くを語っておらず、「楽屋を訪ねたのが始まり」といった話も広まっていますが、本人の言葉で確認できるのは曲にまつわる部分までです。

1997年1月に結婚、2003年9月に離婚

婚約発表は1996年4月15日。その2週間ほど前、石井さんは左手の有鉤骨を骨折し、手術を受けていました。野球人生では苦しい時期の発表です。

同じ年のオフには、近鉄との契約更改が大幅な減額提示で難航し、トレードを前提に決着。1997年1月、巨人へ移るのと同じ月に結婚しました。球界の主砲と人気歌手の組み合わせは大きな話題になり、その年のうちに長女が生まれています。

ところが6年あまりで別々の道を選びます。2003年10月9日、2人が9月下旬に離婚していたことが報じられました。石井さんは前年に現役を引退し、日本テレビの野球解説者として歩き出したばかりの頃です。長女はまだ小学校に上がる前後の年齢で、離婚後は岡村さんがシングルマザーとして育ててきました。

離婚理由は公表されていない

離婚の理由について、2人は具体的に説明していません。

NEWSポストセブンによると、岡村さんは2001年に父親の事業の失敗で多額の負債を背負い、結婚後に休んでいた音楽活動を2002年に再開しています。時期が重なるため、借金問題と離婚を結びつける記事は少なくありません。ただ、これはあくまで当時の周辺事情で、どちらかが離婚理由として口にしたものではありません。

元妻・岡村孝子さんの現在

岡村さんは2019年4月に急性白血病を公表し、予定していたツアーを中止して治療に専念しました。前述の石井さんのコメントは、このときに出されたものです。

2021年に音楽活動へ復帰。2026年も夏にコンサートを予定するなど、歌い続けています。離婚から20年以上たちますが、2人が再び一緒になったという報道はありません。

石井浩郎の再婚相手|2人目の元妻・船木可絵さん

最初の離婚から約3年後の2006年8月、元モデルで、レースクイーンとしても活動していた船木可絵さん(「舩木」と表記されることもあります)と再婚しました。スポニチは2004年12月の段階で「レースクイーンと来春再婚」と報じており、実際の結婚は報道から1年半以上あとでした。

当時の石井さんは、2004年に西武の2軍監督を1年で退いたあと、プロ野球マスターズリーグに参加し、博多もつ鍋チェーンのオーナーとして飲食業にも乗り出していました。2007年秋には故郷・秋田にも店を出しています。グラウンドを離れ、次の仕事を探っていた時期の再婚でした。

この結婚もやがて離婚に至ります。いつ別れたのか、理由は何だったのか、公式な説明はありません。ネット上にはさまざまな離婚理由が書かれていますが、裏付けとなる報道をたどれないものが多いため、ここでは取り上げません。

石井浩郎の子供は何人?娘と息子の現在

公式プロフィールや主要な報道ではっきり確認できるのは、長女と長男の2人です。これとは別に、2019年の週刊文春は石井さんが3人の妻それぞれとの間に子供をもうけていると報じました。この報道を含めると、子供は3人になります。

続柄母親生まれ分かっていること
長女(娘)岡村孝子さん1997年一般の方のため名前・仕事は非公表
子供船木可絵さん非公表週刊文春が存在を報道。性別・年齢は非公表
長男(息子)稲見幸子さん2013年8月2026年11月時点で13歳

娘は岡村孝子さんとの長女

1997年生まれで、現在は20代後半。名前や職業は公表されていません。名前やモデル活動に触れたネット記事も出回っていますが、本人が公の場で明かした情報ではありません。

母と娘の関係が伝わるエピソードはあります。2021年、岡村さんは白血病の闘病を経て、日本テレビの音楽特番で2年2カ月ぶりにステージへ戻りました。その際、もう一度音楽と向き合えたきっかけとして挙げたのが、娘から手渡された音楽プレーヤーに入っていた「夢をあきらめないで」です(オリコンニュースの岡村孝子復帰記事)。

石井さんがプロ1年目の闘病中に繰り返し聴いた曲を、今度は娘が母に手渡した形です。

息子は2013年8月生まれの長男

現在の妻・稲見さんとの間に生まれた息子です。2013年8月生まれなので、2026年11月時点で13歳。中学生の年代ですが、名前や学校は公表されていません。石井さんが49歳で授かった子供で、長女とは16歳離れています。

2人目の妻との子供と養育費をめぐる報道

この子供の存在を伝えたのは、2019年9月の週刊文春です。同じ記事には、再々婚後の2014年ごろに「前妻」から養育費の不払いを指摘されたという関係者の証言も載っています(週刊文春の記事)。

記事によれば、石井さんは養育費などに関する質問には直接答えていません。この子供の性別や年齢も明らかになっておらず、確認できるのは報道があったという事実までです。

子供の人数が記事によって「2人」「3人」と分かれる理由

ネット上では「子供は2人」とする記事と「3人」とする記事が混在しています。百科事典サイトなどの家族欄に載っているのが長女と長男の2人だけで、多くの記事がそれをもとにしているためです。

2人目の妻との子供は、本人や事務所が公表したわけではありません。「公表されているのは2人、報道を含めると3人」と押さえておけば間違いありません。

石井浩郎の実家は秋田県八郎潟町

八郎潟町で育ち、秋田高校から早稲田へ

石井さんは1964年6月21日、秋田県南秋田郡八郎潟町に生まれました(参議院の石井浩郎議員プロフィール)。

町の名前のもとになった八郎潟は、かつて琵琶湖に次ぐ国内2番目の広さを持つ湖でした。干拓で大潟村が生まれ、八郎潟町はその東側にあります。

地元の一日市小学校(在学中に統合されて八郎潟小学校)、八郎潟中学校を経て、県内屈指の進学校・秋田高校に進学しました。2年秋には投手として東北大会に出場し、高校通算32本塁打。それでも甲子園には届きませんでした。

その後、一般入試で早稲田大学第二文学部に入り、野球部へ。1985年春のリーグ戦では三塁手としてベストナインに選ばれています。社会人のプリンスホテルで3年間プレーし、1989年のドラフト3位で近鉄に入団しました。自民党の候補者紹介では、子どもの頃の夢を「プロ野球選手」と答えています。

両親について分かっていること

両親の名前や職業、兄弟がいるかどうかは公表されていません。

記録に残っているのは、2002年の引退試合に、故郷の秋田から両親が駆けつけたことです。13年間のプロ生活の幕引きを、両親は球場で見届けました。

石井浩郎の自宅はどこ?

自宅の詳しい場所は公表されていません。

手がかりになるのは選挙の候補者情報です。2022年の参院選で秋田魁新報が掲載した略歴では、石井さんの住所は八郎潟町(字名まで)と記されています(秋田魁新報の2022年参院選候補者紹介)。生まれ育った町を住所として選挙に臨んでいるわけです。同じ略歴によると、選挙事務所は秋田市に置かれていました。

一方、国会の会期中は東京が仕事の中心です。2025年のNumber Webのインタビューも、永田町の参議院議員会館にある石井さんの事務所で行われました。

番地まで特定しようとする書き込みも見かけますが、家族の暮らしにも関わる情報です。この記事では公表されている範囲にとどめます。

石井浩郎の現在|近鉄の4番から参議院決算委員長へ

項目内容
生年月日1964年6月21日(62歳)
出身地秋田県南秋田郡八郎潟町
学歴秋田高校→早稲田大学第二文学部(中退)
球歴プリンスホテル→近鉄(1990〜96年)→巨人(97〜99年)→ロッテ(2000〜01年)→横浜(02年)
主なタイトル打点王(1994年、111打点)
現職参議院議員(秋田選挙区・3期)、参議院決算委員長

近鉄ではラルフ・ブライアントさんらと「いてまえ打線」の中軸を担い、1994年は33本塁打、111打点で打点王を獲得。翌1995年には、阪神・掛布雅之さんの記録を抜く362試合連続4番打者先発出場の日本記録をつくりました。右かかとを痛めながら出場を続けての記録です。

巨人での3年間もけがとの戦いが続きました。1999年オフにトレードでロッテへ、2001年オフには横浜へ移り、2002年限りでユニホームを脱いでいます。

引退後は日本テレビの解説者、西武の2軍監督を経て、2010年の参院選秋田選挙区で民主党の現職を破って初当選しました。2016年、2022年と当選を重ね、参議院では文教科学委員長や複数の特別委員長を歴任。2022年8月の第2次岸田改造内閣では、国土交通副大臣と内閣府副大臣、復興副大臣を兼ねました。

参議院の役職一覧(2026年10月30日時点)では決算委員長に就いており、任期は2028年7月まで。2025年の取材では、プロ野球の13年より議員生活のほうが長くなったと語っていました。

まとめ|石井浩郎の妻・元妻・子供・実家

  • 現在の妻:稲見幸子さん(2013年10月に3度目の結婚)
  • 2人の元妻:岡村孝子さん、船木可絵さん
  • 子供の人数:公表されているのは2人、週刊文春の報道を含めると3人
  • 実家:秋田県八郎潟町(選挙の候補者略歴の住所も同じ町)
  • 現職:参議院決算委員長

石井浩郎さんの現在の妻は、2013年10月に3度目の結婚をしたフリーアナウンサーの稲見幸子さんです。元妻は、1997年から2003年まで連れ添った歌手の岡村孝子さんと、2006年に再婚した元モデルの船木可絵さんの2人。子供は岡村さんとの長女と稲見さんとの長男が公表されており、週刊文春の報道を含めると3人になります。実家は秋田県八郎潟町で、選挙の候補者略歴でも住所は同じ町。地元を拠点に、現在は参議院決算委員長を務めています。

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