オリックスの宗佑磨(むね・ゆうま)選手は、ギニア人の父と日本人の母のあいだに東京都武蔵野市で生まれたハーフです。両親は宗選手が1歳のときに離婚し、母ミカさんとの二人暮らしが始まりました。本名は球団名鑑に載る「宗 佑磨」で、兄弟姉妹はいません。
結婚相手(妻)や子供については、2026年11月4日時点で本人や球団からの発表を確認できません。プロ12年目の今季は134試合に出場して自己最多の14本塁打、65打点を記録、11月3日には国内FA権の行使を表明しました(宗佑磨の国内FA権行使表明を伝えたデイリースポーツ)。この記事では、父の職業、母子家庭で育った家族の歩み、結婚や彼女の公表状況を、本人と母の発言をもとにたどります。
宗佑磨(宗ゆうま)はどこのハーフ?本名と読み方

宗佑磨選手は、ギニア人の父と日本人の母を持つハーフです。本名は「宗 佑磨」で、登録名と同じです。
本名は「宗 佑磨」、読み方は「むね ゆうま」
苗字が一文字の「宗(むね)」、名前が「佑磨(ゆうま)」です。
オリックス公式の宗佑磨 選手名鑑(2026年)では、「登録名/本名」の欄に「宗 佑磨」と記載されています。「宗ゆうま」と検索されることもありますが、別の登録名や芸名があるわけではありません。横浜隼人高校から2014年のドラフト2位で入団し、背番号は6です。
父はギニア人。「ガーナ出身」と書かれたことも
父は西アフリカのギニア出身、母は日本人です。ドラフト当時の週刊ベースボールONLINEの宗佑磨ドラフト候補寸評には「ガーナ出身の父」とありました。しかし、母ミカさんが取材で語った父の国籍はギニアで、入寮時の報道も「ギニア人の父」としています。ガーナは、宗選手が中学時代に母と旅した国です。
生まれは東京・武蔵野市、育ったのは大阪と神奈川
生まれたのは、母子が当時暮らしていた東京都武蔵野市です。幼い頃は母の実家がある大阪で過ごし、小学校の途中で東京へ転校しました。小学3年まではサッカー少年でしたが、転校先にサッカー部がなく、友達のいた野球部を体験して楽しさを知ったと、地元紙タウンニュースの宗佑磨ドラフト直後インタビューで語っています。小学5年で神奈川県鎌倉市に移り、玉縄中学校では軟式野球部に入りました。
なお、球団名鑑の出身地は2023年版の宗佑磨 選手名鑑では東京都、2024年版以降は神奈川県と表記されています。
宗佑磨の父はギニア出身の国立バレエダンサー
父はギニアの国立バレエダンサーでした。明かしたのは母のミカさんで、父の名前や現在の様子は公表されていません。
母ミカさんがセネガルで出会った父
宗佑磨の母親ミカさんが語った育児と仕事(日刊ゲンダイ)によると、7歳からクラシックバレエを習っていたミカさんは、20代でフラメンコやサルサの歌手として活動していました。音楽事務所では、海外の音楽家を日本に招く仕事も担当。アフリカの太鼓音楽にひかれて1992年にセネガルへ渡り、知人だったギニア人の国立バレエダンサーと結婚しました。
二人は日本とアフリカを行き来し、現地で暮らした後に一緒に帰国。1996年6月に宗選手が生まれ、翌1997年に離婚しています。
中学3年の冬、母と訪ねたガーナ
宗選手は中学3年の冬休み、母に連れられて自身のルーツである西アフリカのガーナを訪れました。現地では、母の知人の夫で呪術師をしていた人物のもとで、新年の儀式を見学するなどして交流しています。日刊スポーツは、訪問先を首都アクラと伝えました。
小学生の頃は肌の色のことを言われることが多く、人前で目立たないようにしていたそうです。入寮時のスポーツ報知の取材では、それまでハーフであることを気にしていたが、アフリカで自分も堂々としようと思うようになったと話しています。
お守り「ジョパタ」を着けてプロの寮へ
ガーナで作ってもらったのが、現地でお守りとして使われるブレスレット「ジョパタ」です。高校時代は試合中にズボンのポケットに入れ、身につけていればほとんどの公式戦でヒットが打てたと振り返っています。
2015年1月10日、神戸市内の合宿所「青濴館」に入寮した日も、左手首にジョパタを着けていました(ガーナのお守りを着けて入寮した宗佑磨(デイリースポーツ))。入浴のときも外さず、プロ入り後も身につけていたいと話していました。
宗佑磨の家族構成は?母子家庭で育った一人っ子

宗選手の家族は母のミカさんで、兄弟姉妹のいない一人っ子です。1歳から母子家庭で育ちました。
母は「母親であり、父親であり、兄弟」
宗佑磨が母への感謝を語ったNumber Webのインタビュー(2024年5月)で、宗選手は母との関係を独特だと表現しました。理由に挙げたのは、母子家庭で、一人っ子で、ハーフでもあること。母は母親であると同時に、父親のようでもあり、兄弟のようでもある存在だと話しています。
2014年のドラフト当時にも、ほぼ同じ言葉で母への感謝を語っていました。
大阪の祖父母も子育てを支えた
離婚後、ミカさんは派遣社員として保険会社や食品会社に勤めました。やがて息子を連れて大阪の実家へ移り、両親に子育てを手伝ってもらいながら専門学校に2年間通って栄養士の資格を取得します。
卒業後は実家近くの保育園で栄養士として働き、2006年からは整体師やセラピストの仕事に就きました。資格はすべて30代になってから猛勉強して取ったものだと、ミカさんは日刊ゲンダイの取材で振り返っています。
高校選びにも表れた「母一人子一人」
進学先の横浜隼人高校は、中学生の宗選手を見つけた同校の榊原教論が勧めた学校です。恩師が語った宗佑磨の中学・高校時代(Number Web)によると、母一人子一人の家庭なので、家から通える同校が合っていると考えたといいます。
「兄弟出来ました」と写真に写った相手は?
2025年2月12日、宗選手はインスタグラムのストーリーズに「兄弟出来ました」と投稿し、自分とよく似た男性と肩を組む写真を載せました。相手はテレビ宮崎のオカファーエニス豪アナウンサーです。
宮崎キャンプの取材に来ていた同アナは、横浜隼人時代の宗選手を地元のスターと呼び、高校球児だった自分も大きな影響を受けたと明かしています(「兄弟出来ました」投稿の相手を伝えたデイリースポーツ)。
宗佑磨の母親・ミカさんとのエピソード

母親のミカさんは、リンパ排出法のセラピストで整体師です(2014年時点)。取材で語られた親子の場面を、年代順にたどります。
鎌倉の自宅は母の仕事場だった
高校時代、母子は神奈川県鎌倉市の住宅街で暮らしていました。自宅はミカさんの仕事場を兼ねており、練習で疲れた宗選手が施術室で母の治療を受けることもあったそうです。
一方で、小学3年で野球を始めてから、汚れたユニホームを手で洗うのは宗選手自身の役目でした。口げんかもよくしたものの、母がいなければ今の自分はいないと、ドラフト当時に語っています。
「おかん、頑張るよー!」母の前で放った3安打
2024年4月10日、京セラドーム大阪での楽天戦。試合前の円陣で声出し役を任された宗選手は、バックネット裏の母に向けて「おかん、頑張るよー!」と手を振りました。
この日は6番・三塁で先発し、5打数3安打でシーズン初の猛打賞。母の前で3安打を放った宗佑磨の試合後コメント(Full-Count)では、母が見に来た試合はよく打てているイメージがあると話し、この日の活躍を「おかんパワー」と表現しています。試合は4対5で敗れました。
プロ入り後も母の手料理を食べに行く
母の手料理や母の日について語ったNumber Webの記事によると、ミカさんは息子が独り立ちしたのを機に、2024年の取材の5年ほど前に大阪へ戻りました。車ですぐ行き来できる距離に住み、宗選手は母の家へご飯を食べに行くことが多いそうです。
親の作る料理が一番おいしいと話し、母の日の予定を聞かれると、照れながら一緒に食事にでも行くのではと答えています。
宗佑磨は結婚してる?独身?結婚相手(妻・奥さん)や子供の公表状況

2026年11月時点で、宗選手の結婚や子供の誕生を伝える本人・球団の発表は確認できません。ただし、発表がないことは独身の証明にはなりません。
結婚相手(妻・奥さん)の発表は確認できない
宗選手が結婚相手を紹介した本人の発言や、オリックスによる結婚発表は確認できませんでした。妻・奥さんとされる人物の名前を報じた記事も、確認できる範囲では見当たりません。
11月3日にFA権の行使を表明した際に語ったのは、他球団の評価を聞いてみたい、まだ成長できるという思いでした。
子供の誕生を伝える発表も見当たらない
子供についても、誕生を伝える本人のコメントや球団発表は見当たりません。プロ野球選手の結婚や出産は、公表するかどうかを本人が決めるものです。
「独身」と断定しない理由
週刊ベースボールの選手名鑑号には、独身選手が好きな女性タレントを答える欄があります。宗選手は少なくとも2023年版まで、この欄に名前を挙げていました(次の章で詳しく紹介)。
名鑑の発行時点では独身として掲載されていたと考えられますが、その後の婚姻状況は公表情報からは分かりません。そのためこの記事では「独身」と言い切らず、「結婚の公表はない」と書いています。
宗佑磨に彼女はいる?好きなタイプの名前が出る理由
現在の彼女について、宗選手が公表した情報は確認できません。好きなタイプとして分かっているのは、名鑑で新木優子さんの名前を挙げていたことまでです。
交際相手の公表や報道は確認できない
現在の交際相手を宗選手が明かした発言や、相手を特定できる交際報道は確認できません。本人が恋愛について直接聞かれた記録が残っているのは、プロ入りを控えた高校3年の秋です。
ドラフト直後、18歳で語った恋愛
2014年11月、地元紙タウンニュースのインタビューで、宗選手は横浜隼人の野球部での日々を振り返りました。着替えや食事の時間に仲間との話が盛り上がって怒られたこともあると笑います。
一方で恋愛については、部で禁止されているのでそもそもできず、あまり考えたことがないと答えています。当時18歳だった宗選手自身の言葉です。
名鑑の「好きな女性タレント」に新木優子
新木優子さんの名前には出どころがあります。週刊ベースボールの選手名鑑号を毎年集計している2023年版「好きな女性タレント」の選手別集計では、新木さんを挙げた選手の中に宗選手が入っています。
同じ集計の2019年版から2022年版にも名前があり、2019年版から5年続けて新木さんを挙げていたことになります。分かるのは名鑑で名前を挙げたことまでで、恋人に求める性格などを本人が具体的に語った発言は確認できませんでした。
まとめ:宗佑磨はハーフ本名?父と母親、家族|結婚・妻・子供・彼女や独身
宗佑磨選手の本名は「宗 佑磨(むね ゆうま)」です。父はギニア出身の国立バレエダンサー、母は日本人のミカさん。1歳から母子家庭の一人っ子として育ち、大阪では祖父母も子育てを支えました。中学3年の冬に母と訪れたガーナで作ってもらったお守りは、高校の試合にもプロの寮にも持っていきました。
プロ入り後も、母がバックネット裏にいれば円陣から手を振り、母の家へご飯を食べに行く。宗選手が取材で語ってきたのは、そんなミカさんとの日常です。
結婚相手(妻・奥さん)や子供の公表は2026年11月4日時点で確認できず、彼女の報道も確認できません。国内FA権を行使した2026年オフの去就とあわせて、新しい発表があれば追記します。
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