近藤健介の嫁は誰?名前・画像・娘(双子)・実家おゆみ野・両親・兄の仕事(教師)と死因

ソフトバンクの近藤健介選手(33)の妻は、2019年3月に結婚した一般女性です。結婚を発表した日本ハム球団が明かしたのは「札幌市在住の20代」という点だけで、名前や出身地、顔写真は公表されていません。

夫婦の間には2020年に長女が、2023年には近藤選手と同じ8月9日に双子の女の子が生まれ、娘は3人になりました。近藤選手の両親はともに教員で、父の義男さんは小学校の校長まで務めた人です。7歳上の兄・洋介さんは2026年5月6日に急逝しましたが、死因は明らかにされていません。

この記事では、球団の公式発表、新聞や専門メディアの報道、父・義男さんの著書をもとに、近藤選手の家族について2026年10月時点で確認できる事実を整理しました。ネット上で広まっている話のうち、裏付けが取れないものはその旨を書き添えています。

続柄確認できる情報公表されていない・確認できないこと
妻2019年3月14日に結婚。当時は札幌市在住の20代一般女性名前、出身地、馴れ初め、顔写真
長女2020年3月5日、東京都内の病院で誕生名前
次女・三女(双子)2023年8月9日、東京都内の病院で誕生名前
父・義男さん元中学校教員(数学)、元小学校校長。KCアカデミー代表―
母元教員詳しい経歴
兄・洋介さん7歳上。中学生の軟式クラブチームで監督を務めていた。2026年5月6日に急逝死因、勤務先
目次

近藤健介の嫁はどんな人?結婚相手の名前・出身と馴れ初め

2019年3月14日、「札幌市在住の20代一般女性」と結婚

日本ハムは2019年3月15日、近藤選手が前日の14日に入籍したと発表しました。相手は札幌市在住の20代の一般女性で、近藤選手は当時25歳。デイリースポーツの結婚報道も、球団が発表したこの内容を伝えています。

14日はホワイトデーです。当時のスポーツ紙によると、入籍日は奥さんの希望で決めたもので、近藤選手は取材に照れながらそう明かしました。開幕を目前に控えた時期の結婚で、もう自分の体だけではなくなるのでケガに気をつけてプレーしたい、とも話しています。

結婚1年目の2019年は138試合に出場し、打率.302、出塁率.422をマーク。初めて最高出塁率のタイトルを手にしました。

嫁の名前は公表されていない

奥さんの名前は、球団発表にも報道にも出ていません。2020年の長女誕生の発表でも、奥さんは「夫人」と書かれているだけです。

検索すると、特定の女性の名前を挙げて「近藤選手の妻ではないか」とする記事が見つかります。ただ、本人や球団がその女性を妻だと認めた事実はなく、記事の中でも根拠は示されていません。相手は芸能活動をしていない一般の方なので、この記事では名前の推測はしません。

嫁の出身地は?「札幌市在住」は出身地ではない

結婚時に公表されたのは、あくまで「札幌市在住」という当時の住まいです。生まれ育った場所は明かされていません。

ネット上には「札幌出身」「北海道出身」と書く記事もありますが、球団発表の「在住」を出身と読み替えているものが目立ちます。2019年当時、近藤選手は札幌ドームを本拠地とする日本ハムの主力でした。奥さんがそのころ札幌で暮らしていたことまでは確かでも、出身地を判断できる材料はありません。

馴れ初めは非公表、結婚の決め手は「一緒にいて楽」

二人がどこで知り合い、どのくらい交際していたのかは公表されていません。プロポーズの言葉を問われた際も、近藤選手は想像に任せると答え、具体的には語りませんでした。

明かしたのは結婚の決め手です。当時の報道によると「一緒にいて楽しいし、楽だし」と答え、奥さんの手料理もおいしいと笑顔で話していました。

近藤健介の嫁の画像は公開されている?

奥さんの顔写真は、球団の発表でも報道でも公開されていません。一般の方なので、写真が出ていないのは自然なことです。

「近藤健介の嫁」として女性の画像を載せているサイトはありますが、本人や球団がその人物を妻だと認めた事実は確認できませんでした。別人の写真が出回っている可能性もあり、画像だけで本人だと決めつけることはできません。

近藤選手は、結婚も子どもの誕生も、球団を通じて発表してきました。明かされたのは日付や場所、体重などに限られ、家族の顔や名前は出していません。

近藤健介の娘は3人、うち2人は双子

2020年3月5日に長女が誕生

第1子の長女は2020年3月5日、東京都内の病院で生まれました。体重は3158グラムで、母子ともに健康。日本ハムは翌6日、球団公式サイトで長女の誕生を発表しています。

近藤選手はコメントの冒頭で、元気な長女を産んでくれた妻に感謝したいと述べました。シーズン開幕を約2週間後に控えた時期で、これまで以上に責任と自覚を持って準備したいとも話しています。

この2020年、近藤選手は打率.340をマークし、前年に続いて最高出塁率のタイトルを獲得しました。

2023年8月9日、30歳の誕生日に双子の女の子が誕生

ソフトバンクへ移籍して1年目の2023年8月9日、午前8時50分に東京都内の病院で、第2子・第3子となる双子の女の子が生まれました。母子ともに健康と発表されています(パ・リーグ.comに掲載されたスポーツ報知の記事)。

8月9日は近藤選手自身の30歳の誕生日で、語呂合わせで「野球の日」とされる日でもあります。娘2人と誕生日が重なり、近藤選手は「もう僕の誕生日は祝われないだろうな」と報道陣を笑わせました。双子と分かったときは本当に驚いたそうです。記者から娘に野球をさせるか聞かれ、「ゴルフ」と冗談で返す場面もありました(西日本スポーツ)。

前日8日の楽天戦では、一時同点に追いつく3ランを放っています。この年は26本塁打、87打点で本塁打王と打点王のタイトルを手にしました。

3人の娘の父として大切にしていること

父・義男さんの著書に収められたインタビューで、近藤選手は自分が両親にしてもらったことを、娘たちにもできる限りしてあげたいと話しています。親の価値観で答えを先に言うのではなく、何でもやらせてみて、子ども自身が感じたことを大事にしたいという考えです。

娘たちは水泳や体操に取り組んでいて、楽しそうにしている姿を見られれば十分だと語っています。自分と同じようにいろいろなことを経験しながら、本当にやりたいことを見つけてほしい。この考え方には父の影響を感じている、とも明かしていました(Number Web、2026年3月)。

FA移籍を決めた理由も「家族」

長女がまだ2歳だった2022年12月、近藤選手は日本ハムからソフトバンクへのFA移籍を決めました。古巣の鎌ケ谷の施設へあいさつに訪れた際は、自分一人の問題ではなく家族のことも考えて悩んだと明かし、「家族に幸せになってもらわないと野球をやっていても意味がない」と語っています。

近藤健介の家族は東京に住んでいる?公表情報から分かること

長女も双子も東京都内の病院で誕生

長女の誕生も双子の誕生も、球団の発表では「東京都内の病院」とされています。

ただ、出産した病院の場所と、家族が暮らしている場所は別の話です。近藤選手の家族がどこに住んでいるかは公表されていません。「福岡で単身赴任をしている」と書く記事もありますが、本人や球団が住まいについて説明した情報は見つかりませんでした。

中学は東京の修徳学園中へ、家族で千葉県内を引っ越して通学

近藤選手自身と東京のつながりとしてはっきりしているのは、中学時代です。父・義男さんの著書によると、小学6年生の秋に東京都葛飾区青戸にある修徳学園中学校の体験練習に参加し、ここで野球をしたいと決めました。

千葉市の自宅から青戸までは1時間以上かかります。朝練があり、遠征では早朝に集合する日もあります。悩む両親に、近藤選手の母方の祖母が「長男をアメリカまで行かせたのに、なぜ次男のために近くへ引っ越してあげられないのか」という趣旨の言葉をかけ、これが決め手になりました。

一家が移ったのは、京成線で乗り換えなしに通学できる千葉県内の街です。東京へ引っ越したわけではありません。両親の勤務先はどちらも遠くなりましたが、県内の引っ越しなら難しくないと判断したと義男さんは書いています。

修徳学園中では軟式野球部で鍛えられ、近藤選手は後に「中学時代の3年間が自分のすべて」と振り返っています(スポーツナビに掲載された著書の抜粋)。

近藤健介の実家はおゆみ野?バッティングセンターとの関係

千葉市緑区で育ち、小学3年生で「泉谷メッツ」に入団

近藤選手は千葉県千葉市の出身で、地元紙の千葉日報は「千葉市緑区出身」と紹介しています。実家の住所は公表されておらず、この記事でも詳しい場所には触れません。

少年時代に所属したのは、緑区で活動する少年野球チーム「泉谷メッツ」です。父の著書に載っている小学6年生の卒業文集によると、入団は小学3年生の1月ごろ。春の緑区の大会で優勝し、そのときの金メダルがすごく光って見えたと書いています。6年生では千葉ロッテマリーンズジュニアに選ばれ、2005年12月の第1回NPB12球団ジュニアトーナメントで準優勝しました。

「実家=バッティングセンター」ではない|KC練習広場おゆみ野とは

「近藤健介の実家はバッティングセンター」という話の元になっているのは、千葉市緑区おゆみ野にある野球の練習施設「KC練習広場おゆみ野」です。

出版社カンゼンの近藤義男さんの著者紹介によると、この施設は2016年に近藤選手が設立した「KCアカデミー」のもので、義男さんが代表を務めています。施設の公式サイトでは、バッティングケージ3連、マシン4台、ブルペン、人工芝グラウンドを備えていると案内されています。

打撃練習ができるため「実家のバッセン」と呼ばれがちですが、近藤家の住まいではなく、個人やチームが練習に使う施設です。義男さんはここで地域の球児を指導しています。

小学1年生から週3〜4回バッティングセンターに通った

子ども時代の近藤選手がバッティングセンターに通い詰めていたこと自体は事実です。2021年1月に鹿児島県天城町で開かれた義男さんの講演を伝えた南海日日新聞によると、小学1年生から週に3〜4回通い、納得するまで打ち込んでいたそうです。義男さんはこの講演で、練習を繰り返す以外に上達する方法はないと語っています。

親子でバッティングセンターに行ったとき、義男さんは息子の誕生日が「野球の日」だと気づいて感激した、というエピソードも残っています(Number Web、2023年)。野球以外にもテニスや水泳、剣道、体操などに取り組み、小学2年生のときにはわんぱく相撲の大会で優勝しました。

近藤健介の父親・母親はどんな人?両親ともに元教員

近藤健介の父親・母親はどんな人?両親ともに元教員

父親・近藤義男さんは元校長、中学軟式野球の普及にも尽力

父の近藤義男さんは1960年生まれで、千葉県長柄町の出身です。県立長生高校から東京学芸大学へ進み、1982年に千葉市の公立中学校の教員になりました。数学の教員として教壇に立ち、野球部の顧問も務めました。

年主な経歴
1982年千葉市の公立中学校で教員に(野球部顧問)
1987年から3年間パキスタンのカラチ日本人学校に勤務
1999年千葉県中学生野球連盟を設立
2009年日本中体連の野球競技部長
2012年U-15侍ジャパン(軟式)の編成委員長
2013年土気中学校の教頭
2016年近藤選手が「KCアカデミー」を設立(義男さんが代表)
2017年〜2020年3月大宮台小学校の校長
2018年日本中学生野球連盟の専務理事

現在は、毎年11月に静岡県で開かれる「全国中学生都道府県対抗野球大会in伊豆」の運営にも携わっています。

息子の活躍を子どもたちに還元する活動もしています。2022年9月の道新スポーツの記事によると、義男さんは近藤選手の許可を得て、東京五輪の金メダルを講演先の小学校などへ持参し、2500人近い子どもたちに触れてもらってきました。高校で初めて硬式野球に挑む中学3年生に向けた講座も開いています(First Pitch、2024年)。

父の著書『世界一の侍選手の育ち方』に書かれた子育て

義男さんは2025年7月、カンゼンから『世界一の侍選手の育ち方 ふつうの息子がプロ野球選手になれたワケ』を出しました。第1章の見出しは「子どもの意思を可能な限り尊重する」。子どもがやりたいことを見つけたら、親は環境を整えて後押しするという考え方が全体に通っています。

中学進学時の引っ越しは、その考え方を表す出来事のひとつです。高校についても、近藤選手は本書のインタビューで、プロに行きたかったから横浜高校を自分で選んだと話しています。

母親も元教員、寮で作ったチャーハンは母の味

母親について公になっている情報は多くありません。義男さんの著書には夫婦ともに教員だったと書かれていて、1987年からのパキスタン赴任には、生まれたばかりの洋介さんを連れて家族3人で渡っています。

近藤選手が横浜高校の寮で仲間にチャーハンを振る舞ったときは、母から教わったレシピで作ったそうです(Number Web)。両親はそろってゴルフ好きで、近藤選手も両親に連れられてクラブを握り、高校時代から本格的に始めました。2019年のデイリースポーツの取材では、ゴルフで自分の打つべきポイントをつかむ感覚が野球にもつながると話しています。

近藤健介の兄・洋介さんの仕事は教師?急死と死因について

2026年5月6日に急逝、死因は公表されていない

ソフトバンクは2026年5月8日、近藤選手の兄・洋介さんが6日に亡くなったと発表しました。球団発表を伝えた各紙では38歳とされています(5月17日のスポーツ報知の記事では39歳と表記)。近藤選手とは7歳違いの兄です。

死因は、球団の発表でもメディアの報道でも明らかにされていません。家族のプライバシーにかかわる事柄なので、この記事でも推測はしません。ネット上で死因を断定的に書いている情報があっても、根拠は確認できていません。

訃報の2日後、兄にささげた8号2ラン

近藤選手は訃報の2日後、5月8日のロッテ戦(みずほPayPayドーム)に「2番・左翼」で出場しました。兄も試合に出てほしいと思っているはずだから行ってこい、と両親に背中を押されたそうです。

0-0の3回2死一塁、近藤選手の打球は右翼席へ飛び込む先制の8号2ランになりました。三塁を回ったあとで天を仰ぎ、両手を合わせて本塁を踏むと、ベンチではタオルで顔を覆いました。チームは9回に2点差をひっくり返し、この年初めてのサヨナラ勝ち。近藤選手は試合後、兄が「見ていてくれていたのかな」と話しています。

日本ハム時代の先輩・中田翔さんも、この日のうちに自身のInstagramで近藤選手へ励ましの言葉を送っています。

17日には、この年から導入された慶弔休暇の特例で出場選手登録を外れました。通夜と告別式に参列するためです。この特例では通常の10日間を待たずに再登録でき、適用はオリックスの投手に続いて2例目でした。その後も主軸として戦い続け、2026年シーズンは139試合で打率.309、32本塁打、108打点を記録しています(NPB公式記録)。

兄の仕事は?英語教師を志し、中学生に野球を教えていた

ネット上には「兄は中学校の英語教師だった」とする記事が多くありますが、確認できる情報は限られています。

父・義男さんの著書によると、洋介さんは中学2年生のときに英語の先生になりたいと口にしました。義男さんの勧めで、中学卒業後の8月からアメリカ・テキサス州の高校に通い、卒業しています。大学3年のときには1年間休学してフィリピンへ渡り、現地の大学野球部でコーチを務めました。著書の刊行時点では、義男さんが2024年に立ち上げた中学生の軟式クラブチーム「KCレンジャーズ」の監督も務めていました。

近藤選手も訃報を明かした日に、兄は今は野球を教えていたと語り、よくキャッチボールをした思い出にも触れています(Full-Countの記事)。

学校で英語の教員として勤めていたかどうかは、公式な発表や報道では確認できませんでした。英語教師を目指して海外で学んだこと、亡くなる前は中学生に野球を教えていたこと。現時点で確かめられるのは、ここまでです。

まとめ:近藤健介の嫁は誰?名前・画像・娘(双子)・実家おゆみ野・両親・兄の仕事(教師)と死因

  • 妻は2019年3月14日に結婚した一般女性。公表されたのは「当時札幌市在住の20代」という点のみで、名前・出身地・馴れ初め・顔写真は非公表
  • 娘は3人。2020年3月に長女、2023年8月9日に双子の女の子が誕生
  • 「実家のバッティングセンター」と呼ばれるのは、近藤選手が設立し父が代表を務める練習施設「KC練習広場おゆみ野」
  • 父・義男さんは元中学校教員で元小学校校長。母も元教員
  • 兄・洋介さんは2026年5月6日に急逝。死因は非公表。英語教師を志し、中学生の野球指導にあたっていた

近藤選手の家族について公になっている情報は、本人が球団を通じて出した最小限の発表と、父・義男さんが著書で語った内容がほとんどです。ネット上には在住地と出身地の取り違えや、出典のない職業の話も混じっているため、公式の発表とは分けて受け止める必要があります。

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