趙成珉(チョソンミン)の妻はチェ・ジンシル|息子・娘の現在と権藤との1998年球宴

趙成珉の妻(嫁)はチェ・ジンシル|子供(息子・娘)の現在と再婚の混線、権藤・オールスターまで整理

元巨人の投手・趙成珉(チョ・ソンミン)さんの妻は、韓国で「国民的女優」と呼ばれたチェ・ジンシル(崔真実)さんです。2000年12月に結婚して1男1女をもうけ、2004年9月に離婚しました。

チェさんは2008年に、趙さんは2013年に亡くなっています。残された息子と娘は母方の祖母に育てられ、いまは息子が音楽、娘がモデルやインフルエンサーの仕事をしています。娘は2026年5月に結婚しました。

この記事では、妻との結婚と離婚、子供2人の現在、そして「チョソンミン 権藤」で検索される1998年オールスターの出来事を、NPBの公式記録と日韓の報道をもとに整理します。

項目内容
名前趙成珉(チョ・ソンミン/조성민)
生没年月日1973年4月5日〜2013年1月6日(39歳)
出身韓国・ソウル特別市
経歴信一高 → 高麗大 → 巨人(1996〜2002年)→ ハンファ(2005〜2007年)
NPB通算53試合 11勝10敗11セーブ 防御率2.84
妻チェ・ジンシル(2000年結婚、2004年離婚)
子供長男チェ・ファンヒ(2001年生まれ)、長女チェ・ジュニ(2003年生まれ)
目次

趙成珉(チョソンミン)の妻はチェ・ジンシル|結婚から離婚まで

1998年に出会い、2000年に「世紀のカップル」として結婚

チェ・ジンシルさんは1968年生まれで、趙さんより5歳上です。1988年にデビューし、90年代の韓国でドラマや映画の主演を重ねたトップ女優でした。

趙さんは高校時代から彼女のファンだったといわれます。2人は1998年にテレビ番組で初めて顔を合わせ、趙さんの熱心なアプローチを経て交際に発展しました。

挙式は2000年12月5日、ソウル市内のホテルで。韓国を代表する女優と巨人の人気投手の結婚は「世紀のカップル」と呼ばれ、日韓で大きく報じられました。翌2001年に長男が、2003年に長女が生まれています。

別居、逮捕、そして2004年9月の離婚

幸せな時期は長く続きませんでした。2002年12月、趙さんは自ら記者会見を開いて夫婦関係の破綻を明かし、2人は別居に入ります。この会見で趙さんは、自身の不倫疑惑について、相手とされた女性とは事業上の付き合いだと否定しました。

お金の問題も絡んでいました。趙さんは2002年、事業資金の名目でチェさんの母と弟から借金をしており、返還を求める裁判を起こされます。

決定的だったのは2004年8月1日未明の出来事です。夫婦げんかの末、趙さんはチェさんへの暴行の疑いで緊急逮捕されました(のちに起訴猶予)。

ひと月後の9月1日、2人はソウル家庭法院の調停で離婚します。結婚から3年9か月でした。離婚成立を伝えたYTNの記事(韓国語)によると、子供2人の親権と養育権はチェさんが持ち、趙さんは親権を手放しました。チェさんの母と弟は、直前に勝訴していた約1億8000万ウォンの貸付金の請求を放棄しています。

離婚後、チェさんは2005年のドラマ『バラ色の人生』で女優として再起し、KBS演技大賞の最優秀演技賞などを受けました。しかし2008年10月2日、39歳で自ら命を絶ちます。

趙成珉(チョソンミン)の離婚後の再婚相手は一般女性?

趙成珉の再婚相手は?「女優」説など混線を止血

趙さんが離婚後に再婚したのは事実です。ただし、相手は女優ではありません。

趙さんの父親に取材したレディー京郷の記事(韓国語・2010年)によると、趙さんは2005年に一般女性のシムさん(姓のみ報道)と再婚しました。2010年の初めからは別居して実家で暮らしており、父親は「2人の関係は整理されたと聞いている」「2人の間に子供はいない」と話しています。再婚を2007年とする資料もあり、時期の情報は一致していません。

2013年に趙さんが亡くなった際、韓国メディアは発見者を「同い年の交際女性」と伝えました。この女性がシムさんと同じ人物かどうかは報じられていません。

検索候補に出てくる「再婚相手は女優」という話を裏づける報道は、今回の調査では見つかりませんでした。元妻のチェさんが女優だったことと混同されている可能性があります。

趙成珉(チョソンミン)の子供は息子と娘の2人

趙成珉(チョ・ソンミン)とチェ・ジンシル子供は2人(息子・娘)
長男長女
名前チェ・ファンヒ(최환희)チェ・ジュニ(최준희)
生年2001年2003年
仕事ミュージシャン(Z.flat → Ben Bliss)モデル、インフルエンサー
最近の動き2025年3月に活動名を変更2026年5月16日に結婚

兄妹はどちらも母方の姓「チェ(崔)」を名乗っています。長女は幼いころ「チョ・スミン」という名前でした。

2008年に母を亡くしたとき、兄妹はまだ幼く、ここで親権が大きな問題になりました。

当時の韓国民法では、離婚で親権を持った親が亡くなると、もう一方の親の親権が自動的に戻る仕組みでした。趙さんが親権を主張すると世論は強く反発し、反対署名は1万人を超えます。趙さんは、遺産には一切手をつけず、子供が成人するまで透明に管理したいだけだとする声明を出しました。

この騒動をきっかけに、親権が自動で戻る仕組みは見直されます。改正民法は通称「チェ・ジンシル法」と呼ばれ、2013年7月から施行されました。

兄妹を育てたのは母方の祖母です。趙さんは2010年ごろには祖母と関係を修復し、息子の誕生日会や学校の運動会に顔を出していたと報じられています。その趙さんも、2013年1月に亡くなりました。

趙成珉(チョソンミン)の息子チェ・ファンヒはミュージシャン「Ben Bliss」

長男・チェ・ファンヒさんの活動

趙成珉(チョソンミン)の長男のチェ・ファンヒさんは2001年生まれ。高校生のころにはバラエティ番組に出演し、母と同じ俳優の道に進みたいと話していた時期もあります。

選んだのは音楽でした。2020年11月、Z.flat(ジフラット)の名でシングル「Designer」を発表してデビュー。翌2021年にはラップのオーディション番組『SHOW ME THE MONEY 10』に挑み、1次予選を通過しています。

2025年3月には活動名をBen Bliss(ベン・ブリス)に改め、全曲を自らプロデュースしたアルバム『Dahlia』を発表しました。母の親友だった歌手オム・ジョンファさんと一緒に作った曲もあります。

2026年5月の妹の結婚式では、両親に代わって妹の手を取り、バージンロードを歩きました。

趙成珉の娘チェ・ジュニは2026年5月に結婚

趙成珉(チョソンミン)の長女のチェ・ジュニさんは2003年生まれ。SNSを中心に活動するインフルエンサーで、2024年8月にファッションモデルとしてデビューし、2025年2月にはソウル・ファッション・ウィークのランウェイも歩きました。自己免疫疾患のループスの治療を続けてきたことは、本人が公表しています。

2022年に芸能事務所と専属契約を結びましたが、3か月で解除。2023年7月には祖母との不和が表面化して警察に通報する騒ぎになり、のちに本人が処罰を望まない意思を示しています。

結婚を公表したのは2026年2月です。相手は11歳年上の会社員で、芸能活動はしていない一般男性。ジュニさんは「確認されていない話や憶測は控えてほしい」と呼びかけました。

挙式は5月16日、ソウル・江南のホテルで行われました。式の様子を伝えたiMBCの記事(韓国語)によると、約5年の交際を経ての結婚で、式場の入り口には父・趙成珉さんと母・チェ・ジンシルさんの名前が並べられました。母の親友だったホン・ジンギョンさん、イ・ソラさん、オム・ジョンファさんらも出席しています。

チョソンミンと権藤博|1998年オールスターで何があったのか

チョソンミン 生まれはどこ?プロフィールと巨人時代の成績

巨人2年目に抑え、3年目は前半戦だけで7勝

趙さんは1995年秋、契約金1億5000万円の8年契約で巨人入りが決まりました。1年目は一軍登板がなく、2年目の1997年途中から抑えとして一軍に定着します。

3年目の1998年は先発に回りました。4月8日の広島戦でプロ初先発・初勝利。5月2日のヤクルト戦では初の完封勝利を挙げ、ローテーションに欠かせない存在になっていきます。

年度登板勝敗セーブ完投(完封)防御率
1997221勝2敗110(0)2.89
1998157勝6敗06(3)2.75
2000101勝2敗00(0)3.86
200262勝0敗00(0)2.31
通算5311勝10敗116(3)2.84

出典:NPB公式サイトの趙成珉の個人年度別成績

1998年の成績は、すべてオールスターまでに残したものです。15試合で6完投、うち3試合が完封。この内容で、初めて球宴のメンバーに選ばれました。

球宴第2戦の登板は2イニング無失点

問題の登板は1998年7月23日、千葉マリンスタジアムでの第2戦でした。全セの監督はヤクルトの野村克也さん。コーチ陣には、この年から横浜の監督を務めていた権藤博さんがいました。

NPBが公開している第2戦のボックススコアでは、趙さんは全セ5人目の投手として登板し、2イニングを31球、被安打1、四球2、奪三振3の無失点。試合は3対3の引き分けでした。

この登板で右ひじを痛め、趙さんはシーズン後半、一軍のマウンドに戻れませんでした。当初の診断は右ひじの炎症。ところが翌1999年の春季キャンプでも痛みが引かず、MRI検査で右ひじ内側側副靱帯の断裂が見つかります。手術を受けた1999年は、一軍でも二軍でも1試合も投げていません。

「肘が痛いと伝えた」本人の証言と、食い違う周囲の話

「チョソンミン 権藤」がいまも検索されるのは、趙さん本人の証言が残っているからです。

趙さんは後年、宝島社のムック『巨人軍タブー事件史』に収められたインタビューで、故障とその後の低迷を権藤さんのせいだと語りました。日本語で「肘が痛いので交代したい」と申し出たのに、権藤さんは取り合ってくれなかった、という趣旨です。

これとは違う見方もあります。当時、野村監督付きの広報だった杉村繁さんは、2012年の夕刊フジ(ZAKZAK)の記事で、趙さんが再びマウンドに上がる前に猛然と腕立て伏せをしていた姿を見て、大丈夫だと思ったと振り返っています。トレーナー室での2人のやり取りは見ておらず、真相は「謎」だとしています。

権藤さん側がこの件を詳しく説明した記事は、今回の調査では確認できませんでした。交代の申し出がどう伝わり、なぜ続投になったのか。当事者の話がかみ合わないまま、趙さんは2013年に亡くなっています。

巨人退団後の歩みと2013年の死去

ひじの手術を経て、趙さんは2000年に10試合に登板しました。2002年5月のヤクルト戦では約2年ぶりの先発勝利を挙げたものの、そのオフに契約を1年残して退団を申し入れ、巨人を離れます。

韓国プロ野球への入団を目指しましたが、2003年と2004年のドラフト参加申請はすべての球団に断られました。シュークリーム店の事業もうまくいかず、私生活は離婚へと向かう時期と重なります。

2005年5月、ハンファ・イーグルスと契約して3年ぶりに現役復帰。8月15日の一軍初登板で勝利投手になりましたが、2007年10月に戦力外となりました。その後は野球解説者や、元選手としては韓国初とされる野球エージェントとして活動。2011年から斗山ベアーズで二軍コーチを務め、2012年のシーズン後に退団しています。

2013年1月6日、趙さんはソウル市内で亡くなっているのが見つかり、警察は自殺と判断しました。39歳でした。チェ・ジンシルさん、その弟で俳優のチェ・ジニョンさんに続く悲報に、韓国では残された兄妹を案じる声が相次ぎました。

なお、韓国の報道では趙さんとチェさんの享年を「40歳」とするものが多く見られます。これは数え年による表記で、満年齢ではどちらも39歳です。

まとめ:趙成珉(チョソンミン)の妻はチェ・ジンシル|息子・娘の現在と権藤との1998年球宴

本記事では、元巨人投手・趙成珉氏の家族と野球人生の転機について整理しました。

  • 趙成珉の妻(嫁): 女優チェ・ジンシル氏(2000年結婚、2004年離婚)。
  • 子供(息子・娘): 息子は歌手のZ.flat、娘はインフルエンサーとして活躍中。
  • 再婚の噂: 離婚後に一般女性と事実婚関係にあったが、女優との再婚説は誤情報。
  • 権藤・オールスター: 1998年の球宴登板で右肘を故障。続投の経緯については本人と首脳陣で証言が食い違っており、今も議論の種となっている。

栄光の絶頂から怪我に泣き、家族の問題に翻弄された趙成珉氏。しかし、遺された子供たちがそれぞれの道で力強く生きていることは、天国にいる両親にとっても救いであるはずです。

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