篠塚和典の妻は女優・折原啓子の娘|婚約破棄・再婚説の真偽と息子・娘

篠塚和典の妻は誰?折原啓子の娘・嘉津子さんと家族(息子・娘)を整理

元巨人の篠塚和典さんの妻は、嘉津子さんです。母は昭和の映画やドラマで活躍した女優・折原啓子さん、父は映画プロデューサーの三上訓利さん。俳優の三上博史さんは、嘉津子さんのいとこにあたります。

名前で検索すると一緒に出てくる「婚約破棄」「再婚」の話は、どれも出典が示されておらず、本人の発信や主要メディアでは確認できませんでした。子供は長男の宜政さん、長女、次女の3人で、本人のブログには「家族5人」という言葉が何度も出てきます。宜政さんは父と同じ二塁手としてHondaでプレーし、いまは同チームのコーチです。

以下、公式サイトや本人のブログ、インタビューなど、裏付けの取れた情報をもとに篠塚家を整理します。

目次

篠塚和典の妻は嘉津子さん|母は女優・折原啓子

篠塚和典の妻は嘉津子さん|母は女優・折原啓子

嘉津子さん本人について公になっている情報は多くありません。はっきりしているのは名前と、両親が誰かという点です。その両親が、昭和の映画界ではよく知られた2人でした。

義母・折原啓子は大映ニューフェース出身の女優

折原啓子さん(本名・三上芳子)は1926年、茨城県の生まれです。終戦の年に大映の第1期ニューフェースに合格し、1946年の『彼と彼女は行く』で映画デビュー。翌47年の出演作『花咲く家族』は、キネマ旬報ベストテンで9位に入りました。

結核の療養で一度は現場を離れたものの、1949年に復帰します。1952年に東映と契約してからは「母もの」と呼ばれる作品で役の幅を広げ、フリーに転じた後はテレビドラマ『君の名は』『特捜最前線』などにも出演しました。

亡くなったのは1985年11月。急性心筋梗塞で、59歳でした。孫の宜政さんが生まれるのは、それから3年半ほど後のことです。

ネット上には「松竹歌劇団(SKD)出身」とする紹介も見られます。ただ、確認できた経歴は大映と東映での映画出演が中心で、SKDに在籍した記録は見当たりませんでした。

義父は映画プロデューサー、三上博史は妻のいとこ

父の三上訓利さんは、主に1950年代に活動した映画プロデューサーです。1951年に折原さんと結婚しました。上原謙さんや丹波哲郎さんら、当時の映画スターとも親交があったとされています。

俳優の三上博史さんは、折原さんの甥。嘉津子さんから見るといとこ、篠塚さんから見ると妻のいとこという間柄です。巨人の首位打者と映画一家が、結婚を通じて親戚になったわけです。

嘉津子さんの年齢や馴れ初めは公表されていない

嘉津子さんの生年、篠塚さんとの出会い、結婚した年は公表されていません。「1984年に結婚」と書くネット記事もありますが、根拠は示されていません。結婚記念日を祝った篠塚さんのブログにも、何年目かは書かれていませんでした。

名前が表に出た数少ない例が、2026年2月にブログで公開された夏季野球合宿の告知です。文末の署名で、篠塚さんと並んで「嘉津子」の名前が記されています。

篠塚和典の婚約破棄・再婚説は本当?

篠塚和典の婚約破棄・再婚説は本当?

先に結論を書くと、婚約破棄も再婚も、信頼できる情報源では確認できません。

ネットに出回る「婚約破棄→離婚→再婚」の話

名前で検索すると、婚約破棄や再婚を取り上げた個人ブログやまとめ記事がいくつも見つかります。書かれている筋書きは、ほぼ同じです。

  1. 1981年ごろ、長嶋茂雄さんの紹介で知り合った女性との婚約を破棄した
  2. 1982年に別の女性と結婚し、翌年に離婚した
  3. 1984年に嘉津子さんと再婚した

さらに「この件で長嶋さんの怒りを買い、巨人の監督になれなかった」と話を広げる記事や、1992年の改名(利夫→和典)と結びつける記事もあります。

公式プロフィールや報道では確認できない

問題は、どの記事も根拠を挙げていないことです。当時の新聞記事の引用もなければ、本人の発言もない。前妻とされる女性の名前すら出てきません。

篠塚さんの経歴を細かくまとめたウィキペディアにも、婚約破棄や前妻に関する記述はありません。本人のブログや、集英社「Sportiva」で続いているインタビュー連載でも、触れられたことのない話題です。

改名のいきさつは、知人の内気功の先生から「利夫」という名に分裂や分離の意味があると勧められたため、と報じられています。結婚歴と関係があったことを示す材料はありません。

長嶋さんとの関係については、噂とは逆の話のほうが多く残っています。

篠塚さんは高校2年の秋に肋膜炎で約3か月入院し、体力面を不安視した球団幹部やスカウトは指名に反対しました。それを押し切って1975年のドラフト1位で指名したのが長嶋監督です。病院に電話を入れ、他球団から問い合わせがあれば「まだ治っていない」と答えてほしいと頼んだという逸話を、篠塚さん自身がFull-Countのインタビュー記事で語っています。1981年、新人の原辰徳さんに二塁の定位置を奪われかけた時期には、長嶋さんから「腐るなよ」と声をかけられたとも明かしています。

当時の週刊誌などで何らかの報道があった可能性までは否定できません。ただ、確かめようのない話を事実として書くわけにはいかないため、この記事では「裏付けのない噂」として扱います。

篠塚和典の家族構成|妻と子供3人の5人家族

篠塚さんのブログには、正月や誕生日に「家族5人」で集まった話がたびたび出てきます。本人と妻、長男、長女、次女の5人です。確認できた家族を表にまとめました。

続柄名前確認できる情報
本人篠塚和典(本名・利夫)1957年7月16日、東京都豊島区生まれ。千葉県銚子市育ち
妻嘉津子さん女優・折原啓子さんと映画プロデューサー・三上訓利さんの娘
長男宜政さん1989年5月8日生まれ。桐蔭学園高→青山学院大→Honda。現在は同野球部コーチ
長女非公表男の子を出産し、篠塚さんの初孫に
次女非公表ブログに帰省や誕生日の話題でたびたび登場
孫非公表長女の長男(初孫)、宜政さんの長女(2021年2月生まれ)など
義母折原啓子さん女優(1926〜1985年)
義父三上訓利さん映画プロデューサー
妻のいとこ三上博史さん俳優

2012年の投稿によると、この時点で上の2人はすでに独立していて、5人がそろう日は限られていたようです。翌13年の正月には、テニスコートを借りて家族5人で試合をしたという話も残っています。

ネット上の記事では「子供は2人」とされることが多いものの、本人のブログを読む限り、子供は3人です。

篠塚和典の息子・宜政さんはHonda硬式野球部コーチ

篠塚和典の息子・宜政さんはHonda硬式野球部コーチ

父と同じ右投左打の二塁手として青学からHondaへ

長男の宜政さんは1989年5月8日生まれ。神奈川の強豪・桐蔭学園高校から青山学院大学に進み、2012年春に社会人野球のHondaへ入りました。ポジションは二塁手、右投げ左打ち。父とまったく同じです。

入社した年の4月9日、明治神宮野球場での立教大学戦では代打で登場し、3球目のストレートを右翼スタンドへ運びました。これが社会人での初本塁打です。

篠塚さんもこの時期はよく試合に足を運んでいたようで、ブログには息子の試合を見に行った話が続きます。2012年の夏には「息子はホンダでしごかれてます(笑)」と、親心ののぞく一文も残しています。同じ年の秋、社会人野球日本選手権で3打数2安打2打点と結果を出した試合も、ブログで報告されていました。

2020年の都市対抗で日本一を経験

Hondaは2020年の都市対抗野球大会で、3度目の優勝を果たしました。宜政さんは決勝に一塁の守備固めとして出場し、日本一の瞬間をグラウンドで迎えています。篠塚さんは翌年2月のブログで、息子にとって初めての全国制覇だったと振り返りました。

現在はコーチとしてチームを支えており、Honda硬式野球部の公式スタッフ一覧にもコーチ・背番号81として名前があります。81は、父の和典さんが巨人のコーチ時代(1995〜2003年、2006〜2010年)に着けていたのと同じ番号です。同じスタッフ一覧には、2013年のブログで宜政さんと並んで写真に収まっていた「ミスター社会人」こと西郷泰之さんも、コーチとして名を連ねています。

2021年2月には宜政さんに長女が生まれ、篠塚さんはブログで初めての孫娘の誕生を報告しています。

篠塚和典の娘は2人|1人は青学大野球部のマネージャー

篠塚和典の娘は2人|1人は青学大野球部のマネージャー

娘さんは長女と次女の2人。どちらも一般の方で、名前や職業は公表されていません。

それでも、篠塚さんのブログには娘さんがよく登場します。2012年夏に銚子へ帰省した際は、娘さんの「乗りたい」という一言で、地元の銚子電鉄に乗りに行きました。篠塚さんにとっての初孫は、長女の男の子です。

野球との縁もあります。篠塚さんは2026年3月の集英社Sportivaのインタビューで、娘さんが青学大野球部のマネージャーをしていたこと、その当時の4年生が吉田正尚選手だったことを明かしています。同じ記事では、宜政さんがいまHondaのコーチを務めていることにも触れていました。

父は巨人の首位打者、長男は社会人野球の選手からコーチへ、娘は大学野球部のマネージャー。家族それぞれが、違う立場で野球と関わってきました。

ブログに残る夫婦の時間と銚子の実家

結婚記念日は夫婦2人で食事

2020年10月、篠塚さんはブログに「結婚記念日」という短い投稿を載せました。前日が記念日で、2人で食事をしたという内容です。同じ投稿では、巨人の優勝マジックが1桁になったことにも触れています。

野球教室や正月にも家族の姿

岩手県宮古市の田老地区で夏に開いてきた野球教室には、2012年以降、家族がたびたび同行しています。2015年には「お手伝いで家族も行きます」と書き、翌16年の集合写真では、妻(ブログでは「女房」)と娘さんが子どもたちと一緒に写っています。

正月は毎年、家族で静岡県の御殿場に出かけるのが恒例だそうです。

生まれは東京、実家は銚子の兄の家

篠塚さんは1957年7月16日、東京都豊島区に生まれ、千葉県銚子市で育ちました。

銚子商業高校2年の1974年には、4番・三塁手として春夏連続で甲子園に出場しています。春は準々決勝で報徳学園に1対2で惜敗。夏は決勝で防府商を7対0で下し、同校初の全国制覇を果たしました。エースは3年生の土屋正勝さん、1学年下には後に中日で活躍する宇野勝さんがいました。この夏の大会から金属バットが導入されましたが、篠塚さんはプロを見据えて木製バットで打席に立ち、2本塁打を放っています。

ネット上では「銚子商のエース兼4番としてセンバツ優勝」と紹介されることがありますが、これは誤りです。優勝したのは夏の大会で、篠塚さんは三塁手でした。

その後は1975年のドラフト1位で巨人に入団し、1984年と87年に首位打者を獲得。NPB公式の個人年度別成績によると、通算1696安打、通算打率は.304です。引退後は巨人のコーチを通算14年務め、2009年のWBCでは打撃コーチとして日本代表の連覇を支えました。

いまの実家について、篠塚さんは2012年のブログで、両親はすでに他界し、銚子に住む兄の家が実家になっていると書いています。その後も、家族で銚子へ帰省した話が何度か投稿されています。

2026年夏の野球合宿も、会場は銚子市の銚子スポーツタウンでした。募集の案内は篠塚和典オフィシャルブログ「Dream Japan」に掲載されています。

まとめ:篠塚和典の妻は女優・折原啓子の娘|婚約破棄・再婚説の真偽と息子・娘

篠塚和典さんの家族構成と背景について整理しました。 妻は女優・折原啓子の娘である嘉津子さん。

1984年の結婚以来、40年以上にわたり連れ添っており、ネット上の「再婚説」は事実無根です。

子供については、長男・宜政さんが父と同じ道を志し、Honda硬式野球部で活躍しました。現在は孫も誕生し、ブログでは「じいじ」としての穏やかな表情を見せています。また、実家は故郷・銚子の兄宅であり、今も変わらず地元との絆を大切にしています。

記録にも記憶にも残る背番号6の物語は、ユニフォームを脱いだ後も、温かな家族とともに続いています。現役時代の厳しい勝負の世界を支え、引退後の穏やかな日々を共有する家族の存在こそが、篠塚さんにとって何よりの宝物なのかもしれません。

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出典メモ

  • Wikipedia(篠塚和典、折原啓子)
  • 篠塚和典オフィシャルブログ(Ameba)
  • 日刊スポーツ(2012年7月16日)
  • Honda Sports 公式サイト

本文の根拠にしたが、リンクは張っていない情報源

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