山崎武司さんは、元プロ野球選手として中日ドラゴンズや東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍し、セ・パ両リーグで本塁打王に輝いたレジェンドです。
山崎武司さんといえば、中日ドラゴンズや楽天イーグルスで活躍した強打者として、ファンの記憶に深く刻まれている選手です。豪快なホームランを連発する姿は本当に圧巻でした。
引退後は野球解説者やカーレーサーとして多忙な日々を送っています。この調査ノートでは、山崎さんの家族、自宅、現在の活動と収入について、最新の情報を基に詳しく解説します。
山崎武司の妻・真珠さんと結婚したの?

出会いと結婚のきっかけ
山崎武司さんは1994年12月に結婚されています。
お相手は一般女性で、名前は「寿代(ひさよ)」さんという方です。
20歳の頃から交際していた現在の妻・寿代さんと26歳の時に「結婚しないなら別れて」との最後通告を受け、1994年オフに結婚したエピソードを本人の言葉で詳しく語っています。4歳年上であることも明記があります。
「結婚しないなら別れて」“中日クビ危機”山崎武司が覚醒した現妻の最後通告… – Number Web
一部では「真珠さん」と報じられることもありますが、正しくは寿代さんのようです。具体的な出典(古い新聞やテレビ報道など)は記載されていません。
「真珠さん」という呼び方が最初にどこから出てきたのか、具体的な起源は不明なのです。
寿代さんは芸能人ではなく詳細なプロフィールは公表されていませんが、山崎さんの25年以上に及ぶプロ野球人生を陰で支えてこられた伴侶です。
残念ながら二人の馴れ初めに関する情報はほとんど明かされておらず、出会いのきっかけや交際時代のエピソードは不明です。
しかし、山崎さんが中日時代の若手だった1990年代半ばに結婚していることから、プロ野球選手として大成する前から彼を支え続けた存在だと言えるでしょう。
結婚生活のエピソード
山崎武司さんと寿代さん夫妻の結婚生活は、公には多くが語られていません。それでも結婚から20年以上が経った現在も夫婦仲は良好で、離婚や不仲といった噂は一切聞こえてきません。
山崎さんは自身のブログなどでも妻のことを「嫁」と表現するだけで詳細には触れず、プライベートを大切にしている様子がうかがえます。
現役時代、遠征や単身赴任が続く中でも家庭の絆を保つために毎日のように自宅へ電話をかけて家族と話していたといいます。
こうした地道なコミュニケーションが夫婦円満の秘訣だったのかもしれません。また、山崎さんは自宅の高度なセキュリティシステムに慣れておらず、ある夜に玄関ドアを開けた際に警報を鳴らしてしまい、寿代さんに「セキュリティがかかってるんだから当たり前でしょ!」と叱られたという微笑ましいエピソードも語っています。
長年連れ添った奥様に頭が上がらない一面からも、仲睦まじい夫婦関係が感じられます。
山崎武司の子ども(息子は大貴や娘が菜々)を紹介

長男(息子)は大貴
長男の名前は山崎大貴(だいき)さんです。2013年の引退時に高校2年生(愛工大名電高校)で、引退セレモニーで始球式を務めました。
日刊スポーツの2013年10月6日付記事では、山崎大貴さん本人が手記を寄せ、「最高のオヤジへ」と感謝のメッセージを綴っています。署名も「(長男、山崎大貴)」と明確です。
中日ドラゴンズ公式サイト「山﨑武司選手 引退セレモニー」長男の大貴さんがマウンドに上がり、投球を見守る山﨑選手の写真も掲載されています。
1996年9月頃に大貴さんが誕生した頃、山﨑選手は不調に陥っていましたが、「チビのために1本打ってやりたい」と復調し、本塁打王・打点王を獲得したそうです。
戦力外通告を受けた時、大貴さんが「辞めないで!」と泣いて励ましたというエピソードも、Number Webなどの回顧記事で触れられています。これが選手の続行意欲につながったと語られています。
当時大貴さんは高校2年生で、父・山崎武司さんと同じ愛知工業大学名電高校に通っていたそうです。引退後も大貴さんは野球を強要されず、自由に育ったと、手記の中で父親の教育方針が明かされています。
手記の全文が読め、家族の温かさが伝わってきます。
楽天入団時のエピソードで、本人が直接語っています。
長男・大貴さんから「野球をやってくれ」と強く言われ、入団の決め手になったことです。
娘さんは菜々(なな)
長女の名前は山﨑菜々(なな)さんです。 また、背番号7を選んだ理由として「娘の名前の菜々にちなんでね。俺、息子のことばかり考えていたので、何か娘のためにというか、娘を背負ってちょっと1年間やろうかなと思って」と明かしています。
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2013年の引退セレモニーで、長男の大貴さんと共に花束を渡す姿が公式に記録されています。当時14歳で、家族揃っての感動的な場面でした。
中日ドラゴンズ公式サイトの引退セレモニー記録では、明確に「長男大貴さん、長女菜々さん」と記載され、セレモニーでの花束贈呈が写真付きで紹介されています。
公式発表ではありませんが、イベント直後の2015年11月23日に投稿された生の声です。2015年に娘・菜々さんが通う聖霊高校で講演したらしいです。

(上記は聖霊高校での山﨑武司氏講演会の様子を捉えた画像です。娘さんの学校で話す父の嬉しそうな笑顔が、記事の温かさをそのまま伝えてくれますよね。)
山崎武司の自宅も東海市で実家も?

山崎武司選手の実家は東海市で生まれは知多市
山崎武司選手は1968年11月7日生まれ、愛知県東海市富木島町で生まれましたが、小学校2年生で隣接する知多市(にしの台エリア)に引っ越し、プロ入りして結婚するまでそこで暮らしていました。
公式プロフィールでも出身地は知多市とされ、中日時代に地元愛を胸に活躍したパワーヒッターです。
中日2軍時代の話で「愛知県知多市出身の山崎氏にとっては地元で、『僕の実家の近くなんですけど』」とご本人がはっきり語っています。阿久比町の球場を「実家の近く」と表現しています。
山崎武司氏 中日2軍時代に1時間早出で行った“秘密基地”とは – Sponichi
また、知多市内の実家近く(名鉄常滑線・新舞子駅付近)で発生しました。
母親とともにちゃんこ鍋屋「友綱」を訪れていた帰りに隣の精肉店火災に遭遇し、乳幼児5人を含む家族を救助。この功績で知多市とセ・リーグから表彰を受け、当時のニュースで「実家近く」と繰り返し報じられています。
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実家は知多市内にあり、選手が幼少期から結婚前まで暮らした場所であることがわかります
現在は自宅は東海市に住む理由
山崎武司さんの自宅は愛知県東海市富木島町出身にあるとされています。実際、東海市内にマンションを購入して住んでいましたが、後に同じ東海市内で一戸建て住宅を新築したとのことです。
寿代夫人と長男の大貴君とともに東海市に在住していたことが、本人の言葉で語られています。
東海市は山崎さんの地元である愛知県知多エリアに位置し、名古屋市にも近いベッドタウンです。現役時代、中日ドラゴンズ一筋だった頃から愛知県内に住まいを構えており、「生まれ育った土地を離れたくなかったのではないか」とも言われています。
ふるさと大使にも登録されており、地元との強い絆が公式に認められています。
プロ野球選手はシーズン中各地を転戦しますが、オフシーズンの生活基盤として地元に腰を据えたかったのかもしれません。
山崎さんはオリックス(神戸)や楽天(仙台)へ移籍した際も家族は愛知に残し、自身だけ単身赴任する形を取っていました。慣れ親しんだ土地で家族を生活させ、選手生活の変化による子どもたちの環境の影響を最小限にするための選択だったのでしょう。家族想いな山崎さんらしいエピソードです。
YouTube公式チャンネルでのガレージ紹介:自宅ガレージを改造したり、愛車を公開する動画が複数あり、東海市の自宅を舞台にしています。総額1億円超のスーパーカーコレクションが並ぶ様子は圧巻です。東海市の自宅ガレージに駐車していますね。
まとめ:山崎武司の嫁の真珠と結婚?息子と娘?自宅東海市?現在の収入
山崎武司さんは、プロ野球選手としての輝かしいキャリアを経て、現在は野球解説者やカーレーサー、講演活動など多方面で活躍されています。愛知県東海市の自宅で奥さんの寿代さんやお子さんたちと共に過ごしながら、第二の人生を充実させています。
プロ野球時代の経験と知識を活かした解説者としての仕事、さらに趣味のモータースポーツを仕事にするなど、引退後も精力的に活動を続ける山崎さんの姿は、多くの人々に勇気と希望を与え続けています。
これからも山崎武司さんの多彩な活動に注目が集まることでしょう。家族と共に、そして多くのファンに支えられながら、新たな挑戦を続けていくことを期待しています。
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