山本浩二さんの奥さんは鏡子さんで、子供は息子3人。ここまではシンプルです。
ところがネット上では「娘」や「パチンコ」といった言葉も一緒に出てきて、家族の呼び方や三男夫婦の話題が混ざりやすい。この記事は、結婚の時期、息子は何人か、そして誤解が生まれるポイントを時系列で整理します。
年表で早見:山本浩二の結婚(1970年)→闘病(2019年)→近年の動き(2025年)

山本浩二さんの人生を振り返ると、選手としての全盛期を支えた結婚生活から、現役引退後の指導者・解説者時代、そして近年直面した大きな病との闘いまで、常に家族の存在が中心にありました。
1970年オフの結婚から家族の土台
山本浩二さんが鏡子さんと結婚したのは、プロ入り2年目を終えた1970年のオフシーズンです。
まだ若手から主力へと駆け上がる時期に家庭を持ったことは、その後の「ミスター赤ヘル」としての地位を築く土台となりました。
結婚当時、山本さんは広島の顔として期待される一方でプレッシャーも大きい時期でしたが、鏡子さんは表に出ることを控え、家庭を守る役割に徹しました。
2019〜2025:闘病公表と復帰、レジェンド戦
2019年以降の闘病については、2020年2月の本人コメントを起点に報道が整理されています。その後、現場復帰を果たし、2025年には「Carp Legend Game 2025」に登場しました。 Carp Legend Game 2025 公式
2025年11月29日に行われたレジェンド戦では、ユニフォーム姿で「絵になるやろ」と語るなど、往年の姿を見せています。 日刊スポーツ(2025/11/29)「絵になるやろ」レジェンド戦
山本浩二の奥さん鏡子さんとは

鏡子夫人は、プロ野球選手の妻として「裏方」を貫いてきた人物です。山本浩二さんが現役時代、シーズンの半分以上を遠征で家を空ける中、3人の息子を育て上げ、夫が野球に集中できる環境を整えてきました。
馴れ初めは?プロポーズも紹介
法政大学野球部時代(大学3年生秋)、同期生・吉田京司さんの従妹(いとこ)として紹介されたのが鏡子さんです(当時住友信託銀行勤務、1歳年下)。
大学4年生の頃、彼女は土日の試合ほぼ全観戦で、ライトの芝生席(観客少ない神宮球場で特に目立った)に座っていました。
のんびり屋の浩二さんは「誰の彼女じゃろか?」と思いながら気づいた程度だったそう。
プロポーズの言葉はシンプルに「両親に会ってくれ」だけ。広島入団1年目オフに両親に挨拶し、入団2年目の1970年12月17日に結婚(新婚旅行はグアム)。
当時のプロ野球選手は「家族より野球」みたいな時代でした。
彼女は銀行勤めを続けながら球場通い→新婚即スポンジ投手→家計管理まで完璧にこなして、浩二さんが「野球漬け」に集中できる環境を作ったようですね。
Wikipedia(出典明記・スポニチアネックス2013年アーカイブ引用):(プロポーズ・球場エピソード)
結婚後の生活(広島での暮らし、1年の半分は遠征)
広島東洋カープの本拠地がある広島での暮らしは、常に野球と隣り合わせでした。
私は1年のうち半分は家にいない。子供の行事に顔を出したのも長男の運動会1回しか記憶にない。教育はすべて女房任せだった。私が野球に打ち込めたのも、家族が楽しく過ごせているのもすべて女房のおかげである。— 山本浩二
当時のプロ野球界は今よりも遠征スケジュールが過酷でしたが、家庭が安らぎの場であったからこそ、山本さんは通算536本塁打という記録を残せたといえます。
自宅での練習相手など、支え方の具体例
鏡子さんは「ただの奥さん」じゃなく、浩二さんの打撃革命とカープ黄金期の隠れたMVPでした。
住まいに関する本人インタビューでは、広島の暮らしや家への思いが語られています。
仕事に合わせて移動する生活の中でも、拠点の考え方が伝わる内容です。 中国新聞連載『生きて』第7回(2024.1.25掲載、本人直談)
新婚時代、山本氏がスランプに苦しむと、鏡子さんは毎日欠かさず練習相手を務めました。自宅でピンポン球大のスポンジボールを投げ続け、夫のスイングを影で支え続けたのです。
特に語り草となっているのが、1979年の出来事です。
深刻な不調から心身ともに追い詰められ、体重が6キロも激減してしまった夫。その姿を見かねた鏡子さんは、あえて野球の話をせず「外へ食事に連れて行って」と明るく誘い出しました。
この何気ない一言が、張り詰めていた山本氏の心を解きほぐす転換点となります。鏡子さんの深い愛情と、絶望の淵で夫を救い出した賢明な振る舞い。それこそが、伝説の強打者を支えた真の原動力だったのです。
結果、1975年首位打者・日本シリーズ敢闘賞、78〜83年に本塁打王4回、79〜81年打点王3連覇……あの「ミスター赤ヘル」伝説は、鏡子さんのピンポン球級スポンジなしじゃ生まれなかったと思う。
ファンとして一次的に感じるのは「夫婦で一つのバッテリー」感。浩二さんが監督時代も支え続けた(息子3人のパパとして家庭も安定)。鏡子さんの「裏方力」が浩二さんの全キャリアを支えた一次的事実が、僕らファンにとって一番尊いエピソードだよ。
山本浩二の息子は何人? 奥さん息子サントリーやパチンコとは?何人、娘や次男

浩二さんの家庭は「ミスター赤ヘル」の伝説を支えた最強の裏方軍団です。
鏡子さんがスポンジ投手→家計管理で野球に100%集中させてくれたように、息子3人も「野球の道を強要せず各自の道」を許した結果が三男のゴルフプロになります。
長男・次男が完全にプライベートなのは、浩二さんらしい「家族は家族、野球は野球」の潔さそのものでしょうね。。浩二さんの家庭は「ミスター赤ヘル」の伝説を支えた最強の裏方軍団です。
鏡子さんがスポンジ投手→家計管理で野球に100%集中させてくれたように、息子3人も「野球の道を強要せず各自の道」を許した結果が三男のゴルフプロになります。
長男・次男が完全にプライベートなのは、浩二さんらしい「家族は家族、野球は野球」の潔さそのものでしょうね。。
息子3人確定で娘は?

山本浩二さんには3人の息子がいますが、長男と次男については一般の方として生活しており、メディアへの露出はほとんどありません。2022年11月1日の三男結婚報道で一貫して「山本浩二氏の三男・崇文さん(当時43歳)」と明記があります。
サンスポ、オリコン、日刊スポーツ、スポニチ、FRIDAYなど全メディアが「三男」と記載=長男・次男がいる前提で3人家族。娘の存在は一切触れられずです。
デイリースポーツ2025/3/30(浩二さん手紙全文公開・「娘のいない」一次確認)
長男・次男
長男と次男は、野球の世界ではなくそれぞれ一般の職業に就いているとされています。
山本浩二さん自身が、息子たちに野球を強制しなかったという教育方針も影響しているかもしれません。長男や次男が公の場に出ることはありませんが、父を支える存在であることが周辺情報から分かります。
三男・崇文さん
一方で、三男の崇文(たかふみ)さんは、父と同じくスポーツの世界で活動しており、ゴルフの指導者としてその名を知られています。
三男だけがメディアに登場することが多いため、世間的には「山本浩二の息子」といえば崇文さんを指すことが一般的になっています。崇文さんは父を尊敬しつつも、自分の足でゴルフ界のキャリアを築いている人物です。
日本プロゴルフ協会(PGA)ティーチングプロです。
日大ゴルフ部出身、都内ゴルフスクールでレッスン+千葉ゴルフ場プロデュースしています。
2022年11月1日、せんだみつお長女・せんだるかさん(タレント・パチンコライター・会社社長)と千葉・いすみ市役所で婚姻届提出しました。
出会いは22〜23年前のバー(るかさんアルバイト時代)、17年ぶり再会でゴルフを通じて交際→結婚。
浩二さんから嫁への手紙エピソードがあります。
「娘のいない私達夫婦は、息子の嫁に来てくれる事だけで嬉しくて、本当の娘のように接しています」「また、麻雀、パチンコ、ゴルフを一緒に楽しみましょう」サンスポ2022/11/2(三男結婚・浩二さんコメント原文)
サントリー・パチンコはなぜ?
息子ゼロ関連です。浩二さん本人が1995-96年「サントリーモルツ球団」CFや2023年サントリーイベントに出演しただけです。
三男の嫁・せんだるかさんが本業の一つでパチンコ必勝ガイドライター、イベント出演しました。

せんだるかWikipedia(パチンコライター本業・夫欄出典明記)
浩二さん手紙でも「パチンコ一緒に楽しみましょう」と触れ、家族ぐるみで楽しことからパチンコと出たのでしょうね。
嫁・るかさんのパチンコライター業まで家族で受け入れ、手紙で「パチンコ一緒にやろう」って
これぞカープ愛する者にとって最高の「人間味」。娘ゼロでも3人の息子パパとして家庭円満→監督時代もブレなかった源。ファンとして一次的に思うのは「浩二さんの人生はバッテリー(鏡子さん)+3人の野手(息子たち)で完成した」ってこと。サントリーイベントはレジェンドの遊び場だけど、家族のリアルはパチンコ&ゴルフで笑ってる。赤ヘル黄金期の裏に、こんな温かい3男家族があったんだ尊すぎるよ。
山本浩二の実家の家族構成?父親と母親と兄弟
山本浩二さんは広島県佐伯郡五日市町(現・広島市佐伯区)で生まれ育ちました。家族構成は、父・母・兄2人・姉の6人家族で、浩二さんは4人きょうだいの末っ子です。
実家は被爆家族の「カープ愛」で浩二さんを育んだ最強のつーつかもしれません。
父親:元軍人で建築業を営む
山本浩二さんの父親は元軍人で、戦後「広島機管工業」という土木工事の会社を経営していました。
建築関係の仕事で、自分で設計・建築した西洋風の平屋一軒家(風呂にボイラー付き、当時珍しいモダン住宅)を広島市内に建てました。
大の野球好きで、幼い浩二さんを広島県営球場に連れて行き、カープの試合を一緒に観戦していたことが、浩二さんが野球を始めるきっかけとなりました。
ただし、父親の会社はその後倒産しており、プロ入り後の浩二さん一家は金銭面で苦労した時期もあったと伝えられています。
カープの大ファンで、短波放送の中継を聞きながら家族だんらんはいつもカープ話題です。
母親:広島で被爆
母親は1945年8月6日の広島原爆投下で被爆しています。報道によると、爆風で上半身にガラスが突き刺さる重傷を負い、戦後何年経っても皮膚からガラス片が出てきたとされています。山本浩二さん自身は戦後生まれ(1946年)のため直接被爆はしていませんが、被爆2世にあたります。
また、優しく「おごるな。てんぐになるな。溺れるんじゃないよ。自重しなさい」が家のしきたりでした。
高校時代まで浩二さんの野球応援に通ってくれました。
兄2人・姉:全員が被爆者
山本浩二さんには兄が2人と姉が1人おり、母親と同様に全員が広島原爆の被爆者です。
兄・山本宏さんは、7歳の時に爆心地から約2.5kmの広島市己斐町で被爆し大怪我を負いました。後年、東京都江戸川区に移住し被爆者団体「親江会」の会長を務め、語り部として被爆体験の継承活動を行っています。弟・浩二さんのカープでの活躍は、つらい戦争体験の中での大きな心の支えだったと語っています。
※次兄と姉については一般人のため、詳細なプロフィールは公表されていません。
原爆禁句の中で唯一の家族話題がカープだったから、浩二さんは「地元弱小カープを優勝させる」夢を燃やせた。
長兄宏さんの被爆体験継承(浩二さんが2025年対談で支える姿)も、ファンとして胸熱ですね。
被爆2世の末っ子が、家族の傷をバネに本塁打王4回・監督2期・WBC監督まで駆け上がった。赤ヘル黄金期の裏に、こんな広島の家族愛があったんだな……一次情報だけでも尊すぎるよ。カープファンなら実家にも拍手です。
浩二さん本人の言葉または家族一次証言(2024中国新聞『生きて』、2016本人インタビュー、2017兄宏さん中国新聞記事)から抜粋しています。
FAQよくある質問
まとめ:山本浩二の奥さん(鏡子さん)と息子は何人かを要約
山本浩二さんの奥さんは鏡子さんであり、家族構成は息子が3人です。
長男と次男は一般の方ですが、三男の崇文さんはゴルフ界で活躍し、2022年にせんだるかさんと結婚したことで話題となりました。かつて「ミスター赤ヘル」として広島の街を沸かせたヒーローは、度重なる手術を乗り越え、今もなお野球界のレジェンドとして輝き続けています。
出典メモ
出典メモ:スポニチ(2020/2/7・2/8、2022/11/2)/日刊スポーツ(2020/7/30、2025/11/29)/ORICON(2022/11/2)/ABCマガジン(2025/4/2)/住友不動産ステップ(2016/2/2)/広島テレビ(Carp Legend Game 2025)
記事一覧(サイトマップ)はこちら
コメント