田口壮さんの妻は、元TBSアナウンサーの田口恵美子さんです。旧姓は香川で、TBS時代は「香川恵美子」の名前でスポーツ中継に出ていました。
2人が結婚したのは2001年3月。田口さんにとっても恵美子さんにとっても、2度目の結婚でした。翌2002年に田口さんはカージナルスへ移籍し、2010年に日本へ戻るまで、一家はアメリカで暮らしました。
ここでは恵美子さんの経歴から、初婚相手と再婚までの流れ、メジャー時代の夫婦の出来事、一人息子の寛(カン・タグチ)さんの現在までを、報道や公的な記録で確認できた範囲でまとめまし
田口壮の妻は再婚相手の田口恵美子(香川恵美子)さん

現在の妻・田口恵美子さんのプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 田口恵美子(旧姓・香川) |
| 生年月日 | 1965年10月18日 |
| 出生地 | 香川県高松市(育ちは東京) |
| 学歴 | 佼成学園女子高校→立教大学文学部史学科 |
| 経歴 | 1988年TBS入社、1998年末に退社 |
| 現在 | フリーアナウンサー、ライター |
| 結婚 | 2001年3月、田口壮さんと結婚 |
生まれは香川県高松市です。父方の叔父が栗林公園内の動物園で園長をしていて、その園長宅で生まれました。もっとも本人によれば、物心がついたころには東京で暮らしていたそうです。実の父親も、かつて野球中継を担当したアナウンサーでした。
高校では陸上部でやり投げに取り組みましたが、肘を痛めて競技をあきらめています。立教大学ではバレーボール部に所属。当時はスポーツの現場を取材する記者を目指していて、就職活動ではスポーツ紙の入社試験も受けました。
TBS初の女性スポーツアナとして実況席へ
進路を変えたのは、TBSが「スポーツアナウンサーとして採用する」という条件で、男女を問わず門戸を開いたことでした。1988年4月、恵美子さんはアナウンサー第24期生として入社します。同期の佐古忠彦さんらもスポーツアナとしての採用で、恵美子さんはこの枠でTBSが採った最初の女性でした。

在籍中はラジオ『TBSエキサイトナイター』などのプロ野球中継でリポーターを務めたほか、『筑紫哲也 NEWS23』のスポーツキャスターも担当。同局の女性アナとして初めて、プロ野球・マラソン・陸上競技の実況も任されています。
中継の歴史に名前が残る仕事もあります。1992年バルセロナ五輪の女子マラソン中継では、国内向けのマラソン中継で初めてバイクの後部座席からレースを伝えました。1997年の世界陸上アテネ大会では、室伏広治さんが初出場した男子ハンマー投げを含む投てき3種目を実況しています。
退社後はライターとして活動、夫のメジャー生活も書籍に
アナウンサー時代から新聞や雑誌でエッセイを連載し、1995年には初の著書も出しています。
1998年12月31日付でTBSを退社。本人は理由として、会社員であるはずの女性アナが、いつの間にかタレントのように扱われるようになったことへの戸惑いを挙げています。退社後は拠点をアメリカに移し、少年犯罪の取材を始めました。
結婚後は「田口恵美子」の名義で活動しています。主な著書は次のとおりです。
| 刊行 | 書名 | 出版社 |
|---|---|---|
| 1995年12月 | ノイズ・オンリー あるがままのスポーツシーン | ベースボール・マガジン社 |
| 1999年9月 | 自分らしく―Go forward | 双葉社 |
| 2001年1月 | コレを読まないとひどい目にあうアメリカ西海岸ホームステイ | 双葉社 |
| 2010年10月 | メジャーリーガーの女房 〜ヨメだけが知る田口壮の挑戦、その舞台裏〜 | 毎日コミュニケーションズ |
『自分らしく』では、TBS時代の半生や元スポーツキャスターとしての本音をつづりました。『メジャーリーガーの女房』は、メジャーリーグの婦人会の様子や、マイナー暮らしが続いた夫の苦闘を妻の目線で書いた一冊です。
文章を書くのは夫も同じです。田口さんは現役時代に公式サイトで「何苦楚(なにくそ)日記」を連載し、2004年に書籍化。その後も『脇役力』『プロ野球・二軍の謎』などを出し、「書けるプロ野球選手」と呼ばれてきました。恵美子さんの所属事務所はホリプロで、田口さんも現役引退後に同じ事務所とマネジメント契約を結んでいます
田口壮の結婚歴|初婚相手(元妻)から再婚相手までの時系列
まずは2人の歩みを年表で整理しておきます。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1988年4月 | 香川恵美子さんがTBSに入社 |
| 1992年 | 田口壮さんがオリックスに入団 |
| 1997年 | 恵美子さんが毎日放送の社員と結婚(翌1998年に離婚) |
| 1998年12月 | 恵美子さんがTBSを退社し、拠点をアメリカへ |
| 1999年5月 | 週刊誌が田口さんの離婚を報道 |
| 2001年3月 | 田口さんと恵美子さんが結婚 |
| 2002年 | 田口さんがカージナルスに移籍し、一家で渡米 |
| 2003年12月 | 長男・寛さんが誕生 |
| 2010年 | 田口さんのオリックス復帰に伴い帰国 |
初婚相手の元妻は一般女性、名前や離婚理由は非公表
田口さんの初婚相手は芸能人ではなく、一般の女性です。名前や職業、結婚した時期、離婚の理由は、いずれも公表されていません。
離婚が表に出たのは、光文社の『週刊宝石』1999年5月20日号でした。オリックス在籍中の田口さんがすでに離婚していたと報じた記事で、見出しには慰謝料の金額も掲げられていましたが、本人や球団が認めた数字ではありません。
Wikipediaの田口さんの項目でもこの記事が出典に挙げられていて、「田口壮 元妻」と検索すると、今でもこの話題に行き当たります。田口さん自身が前妻について語った記録は、確認できた範囲では見当たりませんでした。前妻との間に子どもがいたという報道もありません。
再婚相手・恵美子さんとは10年以上の友人だった
2001年の結婚は、出会ってすぐの恋愛結婚ではありません。1990年前後から増えた「女性アナとプロ野球選手の結婚」を振り返ったNumber Webの2021年の記事によると、2人はもともと10年以上の友人で、それぞれ別の相手と結婚していました。
恵美子さんがTBSを辞めた1998年ごろには、どちらの家庭もうまくいっていなかったといいます。その後、互いに離婚し、アメリカで偶然再会したことが結婚につながりました。最初にどこで知り合ったのかは、確認できた報道では触れられていません。
互いに再婚だったため、当時はマスコミにずいぶん書き立てられたと同記事は伝えています。結婚した年のオフ、田口さんはFA権を行使し、2002年1月にカージナルスと3年300万ドルで契約。新婚の2人は、そのままアメリカでの生活を始めることになります。
田口壮の妻が支えたメジャー生活と婦人会

妻が明かしたパニック障害と、夫の支え
メジャーでの8年間は、華やかな時間ばかりではありませんでした。1年目と2年目はマイナー暮らしが長く、田口さんが開幕からメジャーに定着したのは3年目の2004年です。
2006年にはワールドシリーズ第5戦に先発出場し、カージナルスの優勝が決まった瞬間にフィールドに立っていた初の日本人選手になりました。ただ翌2007年のオフにはカージナルスを離れ、2008年はフィリーズ、2009年はカブス(大半はマイナー)と、所属先は毎年変わります。2008年のフィリーズではワールドシリーズに出場する機会はなかったものの、チームの優勝で2つ目のチャンピオンリングを手にしました。
恵美子さんは2007年、心労がたまってパニック障害を一時患っていました。本人がこれを初めて明かしたのは2014年7月です。当時の報道では、田口さんが家事や育児を引き受け、夫婦で過ごす時間をできるだけ長く取って支えたと伝えられています。
田口さんがカブスに移った2009年には、恵美子さんはNHKのスポーツサイトで、メジャーリーガーの妻の立場からコラムを連載しました。2012年7月に田口さんが現役引退を発表したとき、恵美子さんは引退試合がないまま終わったことを心残りにしていたといいます。
田口壮の妻と婦人会|遠征バッグで「ダメ夫」扱いに
メジャーの球団には、選手の妻たちでつくる「婦人会(奥さま会)」があります。恵美子さんもその一員で、ポストシーズンには相手チームの家族に贈るウェルカムプレゼントを準備していたそうです。
この婦人会で、田口さんは「ダメ夫」として通っていました。2024年10月12日放送のテレビ朝日系「中居正広の土曜日な会」で、本人がその理由を明かしています。
きっかけは遠征帰りの出来事でした。バッグを2つ持っていた田口さんは、そのうち1つを恵美子さんに引かせていました。それを見たほかの選手の妻たちが寄ってきて、「あんた、何やってんのよ、誰に何させてんのよ!」と詰め寄ったといいます。
レディファーストの国で最初に与えたこの印象が尾を引き、会合でプレゼントのアイデアを出しても却下される立場になったと、田口さんは苦笑いで振り返っています(デイリースポーツの番組出演記事)。
田口壮の妻の画像を探すときの注意点|松岡修造夫人とは別人
田口恵美子さんの写真を探していると、別人の画像に行き当たることがあります。原因は、松岡修造さんの妻で元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子さんの存在です。姓も読みも同じ「たぐち えみこ」なので、まとめ記事などで取り違えられやすいのです。
| 比較項目 | 田口恵美子さん | 田口惠美子さん |
|---|---|---|
| 夫 | 田口壮さん | 松岡修造さん |
| 「田口」の姓 | 結婚後の姓(旧姓は香川) | 旧姓 |
| 元の所属 | TBS | テレビ東京 |
| 結婚 | 2001年3月 | 1998年2月 |
見分けるポイントは「恵」と「惠」の字、そして出身局です。画像を見るときは、キャプションに「元TBS」「田口壮さんの妻」といった説明があるかを確かめると、取り違えを避けられます。
恵美子さん本人の姿は、出演番組や著書のプロフィール写真で確認できます。TBS時代の写真は旧姓の「香川恵美子」、結婚後は「田口恵美子」の名前で載っていることが多いので、時期に合わせて名前を使い分けると探しやすくなります。
田口壮の子供は息子1人|カン・タグチ(田口寛)さんの現在

息子・寛さんのプロフィールと野球歴
田口さんの子どもは、2003年12月24日生まれの長男・寛(かん)さん1人です。カージナルス時代に生まれ、幼いころの数年をセントルイスで過ごしました。セントルイスの地元誌は、寛さんが野球を好きになり、左打ちのスイングを身につけたのはこの時期だったと紹介しています。
2014年のインタビューで田口さんが明かしたところでは、当時の寛さんは英語のほうが得意で、日本語は好きな漫画で覚えたそうです。恵美子さんも新しい作品を常にチェックしている漫画好き。田口さん自身はアメリカで英訳版の『めぞん一刻』を読み、英語を覚えたといいます。
2021年のデイリースポーツの報道によると、寛さんは小学1年で地域の少年野球チームに入り、関メディベースボール学院の中等部から本格的に野球に取り組みました。学校は小学校からインターナショナルスクールのカナディアンアカデミーに通っていたため、高校野球で甲子園を目指す道はとらず、クラブチームでプレーを続けました。学校では野球のほかにバレーボールにも取り組んでいました。

父とは違う左投げ左打ちの外野手で、当時の数字は身長183cm、遠投105m、50m走5秒9。取材では「アメリカの大学からMLBに入りたい」と話し、実現すれば日本初となる親子2代のメジャーリーガーを目標に掲げていました。なりたい選手像は、ブルージェイズの外野手ジョージ・スプリンガーです。調子を崩したときはフォームの動画を父に送り、LINEや電話で助言をもらっていたそうです。
この年の夏はアメリカの大学のトライアウトを受ける予定でしたが、新型コロナウイルスの影響でかなわず、自分のプレー動画を大学に送ってアピールを続けていました。
「カン・タグチ」で検索される理由とハワイでの挑戦
「カン・タグチ」は、寛さんの名前を「名・姓」の順に並べた英語表記を、そのままカタカナにしたものです。アメリカの大学でプレーしているため、チームの登録や現地の記録には「Kan Taguchi」と載り、日本でもこのカタカナ表記で検索されるようになりました。
寛さんはアリゾナ州フェニックスのグランドキャニオン大学を経て、ハワイ・パシフィック大学へ移っています。ハワイ・パシフィック大学野球部の選手名簿によると、同大での登録は2025年シーズンから。2027年シーズンの名簿ではレッドシャツ・ジュニア(3年相当)の外野手で、身長は6フィート(約183cm)、専攻はコミュニケーション学です。好きな選手には、父のカージナルス時代のチームメート、アルバート・プホルスの名前を挙げています。
田口壮の家族の現在|西宮市教育委員と侍ジャパンのヘッドコーチ
田口壮のプロフィールと経歴
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1969年7月2日 |
| 出身 | 福岡県生まれ、兵庫県西宮市育ち |
| 学歴 | 西宮北高校→関西学院大学 |
| 入団 | 1991年ドラフト1位でオリックス |
| 所属 | オリックス(1992〜2001年)、カージナルス(2002〜07年)、フィリーズ(2008年)、カブス(2009年)、オリックス(2010〜11年) |
| 主な実績 | 1996年日本一、ゴールデングラブ賞5回、ワールドシリーズ制覇2回(2006年・2008年) |
| 家族 | 妻・恵美子さん、長男・寛さん |
田口さんは福岡県で生まれ、父親の転勤で千葉や岡山を経て、兵庫県西宮市で育ちました。関西学院大学ではリーグ通算123安打を記録。オリックスでは遊撃手から外野手に転向し、イチローさんらと球界屈指と評された外野陣を組みました。アメリカ生活を経た今も、西宮市に住んでいます。
西宮市教育委員、侍ジャパンのヘッドコーチに
オリックスでは2016年から二軍監督、一軍の打撃コーチ、外野守備・走塁コーチを歴任し、2024年シーズン限りで退団しました。2025年からはNHKの野球解説者に復帰しています。
同じ2025年の10月1日には、西宮市の教育委員に就任しました。任期は2029年9月30日までで、西宮市の教育委員会の紹介ページにも名前が載っています。2026年11月26日には、市主催のスポーツ指導者講演会で、中学校の部活動の地域展開をテーマに講師を務める予定です。
2026年9月22日には、NPBエンタープライズが田口さんの侍ジャパンのヘッドコーチ就任を発表しました。指揮を執る井口資仁監督とは、2008年のフィリーズでともにプレーした間柄です。田口さんは「井口監督の手足として」力を尽くすとコメントしています(共同通信の配信記事)。
2001年の結婚から25年。夫婦は西宮を拠点に暮らし、息子の寛さんはハワイで、父と同じ外野手としてプレーを続けています。
長く友人として信頼関係を築いていたことが、その後の過酷なメジャー生活を乗り越える土台になったと言われています(Number Web(2021年11月22日))。松岡修造の妻「田口惠美子」と別人|“恵”と“惠”で混同が起きる
「田口壮の妻は元アナウンサー」という情報から、松岡修造さんの奥様と混同されるケースがあります。 どちらも「元テレビ局アナウンサー」で名前の読みが同じ「エミコ」ですが、漢字と経歴が明確に異なります。
| 氏名 | 旧姓 | 元所属 | 夫 |
|---|---|---|---|
| 田口 恵美子 | 香川 | TBS | 田口 壮 |
| 田口 惠美子 | 田口 | テレビ東京 | 松岡 修造 |
松岡修造さんの妻・惠美子さんは、結婚後の本名は「松岡惠美子」です。
読売テレビの道浦俊彦氏も、自身のコラムでこの「同姓同名のアナウンサー」について触れ、漢字の違い(恵と惠)や局の違いを整理しています(読売テレビ(2024年3月12日))。
田口壮の妻・家族に関するよくある質問
まとめ:田口壮の再婚相手の妻は田口恵美子(香川恵美子)?結婚歴と元妻、息子カン・タグチの家族・子供
田口壮さんの妻は、元TBSアナウンサーの田口恵美子(香川恵美子)さんです。
- 2001年に結婚し、お互い再婚同士として支え合ってきた。
- 松岡修造さんの妻(元テレ東・田口惠美子さん)とは別人。
- メジャー挑戦やパニック障害など、苦難を二人三脚で乗り越えた。
- 2024年にコーチを退任し、2025年からは西宮市教育委員としても活動。
華やかな経歴の裏には、夫婦の固い絆と、「こんなはずじゃなかったと言わない」という覚悟の約束がありました。今後もそれぞれの分野での活躍が期待されます。
出典メモ: Number Web(2021年11月22日)、スポニチ(2014年7月23日)、日刊スポーツ(2024年3月5日)、読売テレビ(2024年3月12日)、オリックス公式(2024年10月7日)、神戸新聞NEXT(2025年9月5日)
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本文にリンクは張っていませんが、事実確認に使った参照元は次のとおりです。
- Wikipedia「田口壮」:経歴、2001年3月の再婚、2008年WS不出場、引退時の妻の心残り、週刊宝石の出典
- Wikipedia「香川恵美子」:生年月日、学歴、TBSでの実績、1997年の結婚と1998年の離婚、パニック障害、著書
- Wikipedia「松岡修造」:妻・田口惠美子さん(元テレビ東京)との1998年2月の結婚
- デイリースポーツ(2021年6月22日):寛さんの生年月日、学校、野球歴、数値、目標
- Sportiva(2014年8月30日):寛さんが漫画で日本語を覚えた話、夫婦の漫画好き
- St. Louis Magazine:寛さんがセントルイスで野球と左打ちを身につけたこと
- 西宮市 スポーツ指導者講演会:2026年11月26日の講演予定
- ライブドアニュース(要旨のみ残存):2014年のパニック障害公表と夫の支え
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