栗山巧の嫁・上田深咲?結婚から子供何人(息子・娘)、家族、実家まで徹底解説

栗山巧の嫁は上田深咲さん?子供は何人(息子・娘)|実家と両親の話も

栗山巧さんの嫁(妻)は、兵庫県出身の上田深咲(うえだ・みさき)さんです。上田は旧姓で、2人は2005年に知人の紹介で出会い、約5年の交際を経て2010年12月14日に入籍しました。

子供は4人です。2021年の通算2000安打では長男の手紙と娘2人の似顔絵が紹介され、2026年8月30日の引退試合では、4人の子供がそろって父に花束を手渡しました。

栗山さんは2025年11月24日、契約更改後の会見で2026年シーズン限りでの現役引退を表明しています(パ・リーグ.com)。この記事では、球団の公式発表と新聞報道で確認できる範囲に絞って、結婚、子供、実家の家族構成を整理します。一般の方であるご家族については、公表された内容だけを扱います。

目次

栗山巧の嫁(奥さん)は上田深咲さん?結婚はいつで、どんな人?

栗山巧の嫁(奥さん)は上田深咲さん?結婚はいつで、どんな人?

栗山さんの妻は、日刊スポーツが「深咲(みさき)さん」「旧姓上田」と伝えた一般女性です。公の場には出ておらず、顔写真や職業は公表されていません。ネット上には職業などの噂も見られますが、裏づけとなる報道は確認できませんでした。

2010年12月14日に入籍、21日に球団が発表

埼玉西武ライオンズ公式「栗山巧選手 入籍のお知らせ」は2010年12月21日、27歳の栗山選手が12月14日に入籍したと発表しました。本人は、これまで以上に野球に集中し、ファンに愛される選手を目指すとコメントしています。球団の発表には、妻の名前は書かれていません。

馴れ初めは2005年の知人の紹介

同じ日の日刊スポーツ「栗山結婚 3歳上『ムーミンのミイ似』」によると、2人が出会ったのは2005年です。知人の紹介で知り合い、同じ兵庫県出身ということもあって、約5カ月後に交際が始まりました。

栗山さんは深咲さんを、一緒にいて無理をせず、普段の自分でいられる相手だと語っています。妻を「ムーミンのミイ似」と紹介したのも栗山さん自身です。2009年に同居を始めてからは、深咲さんの手料理で食生活が大きく変わったことも、この記事で伝えられています。

プロポーズは打率3割を残した2010年オフ

結婚を決めた背景には、栗山さんなりの責任感がありました。相手の両親に結婚を申し込むなら、恥ずかしくない成績を残してからと考えていたそうです。

2010年は全144試合に出場して打率.310を記録し、2008年以来2度目の3割に到達しました(NPB公式の個人成績)。ベストナインとゴールデングラブ賞も受賞し、このオフにプロポーズしています。言葉は「黙ってついてこい」で、家事には協力すると約束したことも報じられました。

結婚後の2011年も2年連続で全試合フルイニング出場を果たし、2012年からは5年間主将を務めています(ベースボールチャンネル、神戸新聞)。

2000安打で明かされた妻からの手紙

2000安打達成時に明かされた妻からの手紙

2021年9月4日、栗山さんは楽天戦の9回に牧田和久投手から左前打を放ち、史上54人目、球団の生え抜き選手として初めての通算2000安打を達成しました。翌日の日刊スポーツ「栗山夫人からの手紙」には、深咲さんが夫に宛てた手紙が掲載されています。

結婚するとき、夫は誰も味わったことのない思いをさせると約束していました。その言葉を覚えていた深咲さんは、「もう十分いい夢を見せて頂きました」と感謝を伝えています。手紙は、けがなく少しでも長く打席に立つ背番号1を見ていたい、という願いで結ばれていました。

上田深咲の年齢は何歳?栗山巧より3歳年上

上田深咲の年齢は何歳?栗山巧より3歳年上

結婚が報じられた2010年12月の時点で、深咲さんは30歳、栗山さんは27歳でした。同じ記事は、入籍日の12月14日が深咲さんの誕生日のちょうど1カ月後だったとも伝えています。

この2点から逆算すると、誕生日は11月14日で、1980年生まれになります。2026年11月2日時点では45歳で、11月14日に46歳を迎える計算です。本人や球団が生年月日を公表したわけではないため、報道から割り出した年齢として扱ってください。

結婚当時の報道で伝えられた深咲さんのプロフィールは、次のとおりです。

項目内容
名前深咲(みさき)さん。旧姓は上田
出身兵庫県
年齢差栗山さんより3歳年上
出会い2005年、知人の紹介
入籍2010年12月14日(誕生日の1カ月後)

なお、栗山さんは1983年9月3日生まれの43歳です。

栗山巧の子供は何人?「3人」の情報と4人目

栗山さんと深咲さんの子供は4人で、夫婦と合わせて6人家族です。

ネット上で「子供は3人」とされてきたのは、2021年の2000安打特集に長男・長女・次女の3人が登場したためです。それ以前は、球団の誕生発表が長男だけだったことから「子供は1人」とする情報もありました。その後、2026年8月30日の引退試合で、日刊スポーツが「4人の子供から花束贈呈」と報じ、4人目の存在が明らかになりました。

子供の存在が明らかになった順番

時期出来事分かったこと
2011年7月球団が第一子誕生を発表長男の誕生
2016年7月球宴後のコメント長女がいること
2021年9月2000安打の家族特集次女がいること
2026年8月引退試合で花束贈呈子供が4人いること

4人目の名前・性別・誕生日は非公表

4人目の子供について、名前や性別、誕生日は公表されていません。球団が誕生を発表したのは2011年の長男だけで、長女と次女も、試合後のコメントや記念特集を通じて存在が伝わりました。

栗山巧の子供の名前は?何歳?|長男・一さんと娘たち

名前が確認できるのは、長男の一(はじめ)さんだけです。2021年に日刊スポーツが公開した長男の手紙で、名前が知られるようになりました。娘たちの名前や、子供たちの学校は公表されていません。

子供名前生年月日2026年11月2日時点の年齢
長男一(はじめ)2011年7月10日15歳
長女非公表2015年7月15日(推定)11歳
次女非公表非公表非公表
4人目非公表非公表非公表

長男の誕生日は、球団公式「栗山巧選手に第一子誕生」で発表されたものです。長女の生年月日は、2016年7月15日の試合後に栗山さんが「長女の1歳の誕生日」と明かしたことから逆算しました。

栗山巧の娘|長女の1歳の誕生日に球宴初打席ホームラン

栗山巧の娘|長女の1歳の誕生日に球宴初打席ホームラン

2016年7月15日、栗山さんはプロ15年目で初めてオールスターゲームに出場しました。ヤフオクドームでの第1戦、9回の初打席で広島の中﨑翔太投手から2ランを放っています(NPB公式「マツダオールスターゲーム2016」)。

この日は長女の1歳の誕生日でした。日刊スポーツ「長女1歳誕生日に『栗ってる』1号」で、栗山さんは「いいバースデーアーチになりました」と喜んでいます。

長女と次女がそろって紹介されたのは、5年後の2000安打のときです。長女は当時6歳でした。母と兄が手紙を寄せる一方、姉妹は父の似顔絵を贈りました。球団が誕生を発表していなかった次女の存在は、この特集で広く知られるようになりました。

栗山巧の息子は野球をしている?長男・一さんの手紙

栗山巧の息子は野球をしている?長男・一さんの手紙

長男の一さんが2000安打の際、当時10歳で父へ書いた手紙は、日刊スポーツ「栗山長男からの手紙」として全文が公開されました。見出しになったのは「二千五百安打目指してがんばってね!」という言葉です。父は最終的に、通算2152安打で現役を終えました。

一さんが小学生のころ少年野球をしていたことは、当時の報道で伝えられています。ただし、2026年時点で所属しているチームやポジションは公表されていません。

栗山さん自身は、引退会見で野球をする少年少女へのメッセージを問われ、楽しいという気持ちを持ち続け、うまい下手に関係なく目いっぱいやってほしいと答えています。

栗山巧の子供が花束を贈った引退試合|「引退とは言わんといて」

引退試合は2026年8月30日、ベルーナドームでの楽天戦でした。「6番・DH」で先発する前に、ホームベース付近で4人の子供から花束を受け取っています。試合では8回の最終打席で中前打を放ち、通算2152安打で25年の現役生活を締めくくりました(共同通信)。

下3桁の「152」には、入団時の背番号52と、2008年から背負った背番号1が重なっています(ベースボールチャンネル)。最後のシーズンは2軍スタートで、4月18日に1軍へ昇格して代打で安打を放ったものの、5月25日に登録を外れ、2軍で過ごす期間が長くなりました。

試合後のセレモニーでは、楽天の岸孝之投手が最初に花束を贈り(デイリースポーツ)、野茂英雄さんらも駆けつけました。家族の花束は、それより前の試合開始前に渡されたものです。

「締めくくりのシーズン」は子供たちの言葉から

2025年11月の契約更改後の会見で、栗山さんは「僕自身の25年目を迎えるシーズンで締めくくりのシーズンとさせていただきます」と語り(デイリースポーツ)、「引退」という言葉を使いませんでした。1年前に公表した理由は、ファンにしっかりプレーを見てもらいたいからだと説明しています(Number Web)。

「締めくくり」という言い回しを選んだ理由は、引退試合当日の会見で明かされています。家で子供たちと話した際、辞めてもいいが「引退」とは言わないでほしいと頼まれたからでした(スポーツナビ「引退会見全文」)。

栗山巧の家族構成と実家|神戸市西区の両親と姉

栗山さんは兵庫県神戸市西区の出身です(神戸新聞)。

兵庫県出身の2000安打達成者は、古田敦也さん、坂本勇人選手に続いて3人目でした。実家の家族は父・忠人さん、母・寿江さん、2歳上の姉、栗山さんの4人で、栗山さんは姉に次ぐ長男として生まれました。

区分家族公表されている情報
実家父・忠人さん2021年時点で63歳
実家母・寿江さん2021年時点で60歳
実家姉2歳年上。名前は非公表
現在の家庭妻・深咲さん旧姓上田。兵庫県出身で3歳年上
現在の家庭子供長男・長女・次女・4人目の4人

2000安打の特集に家族がそろって登場

2021年9月の2000安打では、日刊スポーツが家族の声を集めた特集を組みました。妻の深咲さんと長男の一さんは手紙を、長女と次女は似顔絵を寄せ、実家の両親は息子の幼少期を振り返っています。

母・寿江さんの願いは「ええ男」

2000安打を特集した日刊スポーツ「西武栗山は球界一の『ええ男』」には、両親がそろって登場しました。母の寿江さんは、息子にとにかく「ええ男」になってほしかったと語り、球場で2000安打の瞬間を見届けています。

母の回想によると、小学生の栗山さんはサッカーでも選抜に選ばれていましたが、迷わず野球を選びました。小学校で「プロ野球選手になる」と宣言し、高校に入る前には両親に「俺に投資してくれ」と頼んだそうです。少年時代は、オリックス・ブルーウェーブのファンでした。

小寺少年団から育英高校へ

野球を始めたのは小学1年生のときです。地元の小寺少年団野球部で顧問を務めた牧野栄一さんは、母親と一緒に練習場へ来て入団を希望した姿を、日刊スポーツ「栗山原型作った恩師の思い出」で振り返っています。

その後、神戸市立太山寺中学校から育英高校へ進み、2年生だった2000年に春夏連続で甲子園に出場しました。夏は4強入りに貢献しています。

地元で続ける「栗山巧杯少年野球大会」

栗山さんは地域貢献として、神戸市少年団野球リーグなどと「栗山巧杯少年野球大会」を開いてきました。2021年12月の10回目の大会では、閉会式で優勝旗を手渡し、野球教室で子供たちを指導しています(神戸新聞)。翌2022年12月の11回目の大会では、須磨区のG7スタジアム神戸で決勝戦を観戦し、出場チームを対象に野球教室を開きました(神戸新聞)。

少年時代からの歩みは、2026年9月26日に発売された初の著書『獅子貫徹 ライオンズ一筋25年、理想の打撃を追い求めて』(KADOKAWA)にも、第1章「初志 1983~1995」から綴られています。

まとめ|栗山巧の嫁・上田深咲と子供4人、家族構成

  • 嫁(妻):上田深咲さん(旧姓上田)。兵庫県出身で3歳年上。2005年に知人の紹介で出会い、2010年12月14日に入籍
  • 年齢:報道から逆算すると1980年11月14日生まれで、2026年11月2日時点で45歳
  • 子供:4人(長男・一さん、長女、次女、4人目)。名前が公表されているのは長男のみ
  • 花束:2026年8月30日の引退試合前、4人の子供がホームベース付近で花束を贈呈
  • 家族構成:現在は妻と子供4人の6人家族。実家は神戸市西区で、両親と2歳上の姉がいる

2026年を「締めくくりのシーズン」と呼んだのは、子供たちから「引退とは言わないで」と頼まれたからでした。最後の一日の試合前、その4人がそろって父に花束を届けています。

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