読売ジャイアンツの若き左腕エース候補として、年々その存在感を高めている井上温大(いのうえ はると)選手。
群馬県前橋市からプロの世界へ飛び込み、怪我や挫折を乗り越えながら成長を続ける彼の姿は、多くのプロ野球ファンの胸を熱くさせています。
特に2024年シーズンの地元・群馬での凱旋勝利や、左肘の怪我から劇的な復活を遂げた2026年4月の今季初勝利など、彼のドラマチックな野球人生の裏には、常に温かい家族の支えがありました。
「井上温大選手の実家はどこ?」「父親や母親はどんな人?」「兄弟はいるの?」
そんなファンの疑問に応えるべく、この記事では公式報道や本人のインタビューといった信頼できる「一次情報」を中心に、井上温大選手の実家や家族構成、そして知られざる家族との感動エピソードを詳しく解説します。
群馬県前橋市で生まれ育った井上選手は、前橋商業高校から2019年のドラフト4位で読売ジャイアンツに入団しました。
井上温大の実家は群馬県前橋市!地元愛に溢れるルーツ

実家は群馬県前橋市
井上温大選手の実家は、彼の出身地でもある群馬県前橋市にあります。幼少期は前橋市立岩神小学校、そして小学2年生の時に引っ越して大胡小学校に通っていました。
2024年12月にまえばしPR大使に就任しています。
2024年12月6日、巨人軍の社会貢献活動「G hands」の一環で母校・前橋市立大胡小学校を訪問しました。
全校児童378人と体育館でキャッチボールや質問コーナーで交流したことが、巨人公式で詳細に記載されています。 選手本人の言葉として「みんなからもっと憧れを抱かれる選手になりたい」「小学生から憧れられるような選手になりたい」と力強いですね。
参考記事;井上選手が母校の小学校に凱旋 「みんなから憧れられる選手になる!」(読売ジャイアンツ公式ニュース)
利根川の河川敷で育まれた野球の基礎
井上選手の野球の原点は、実家近くの自然豊かな環境にありました。
特に、大胡小学校の近くにある球場の裏の河川敷は、彼にとって思い出深い練習場所です。幼い頃からその河川敷でボールを投げ込み、泥だらけになりながら野球の基礎を築き上げました。
前橋商業高校時代には、群馬県立敷島公園野球場(上毛新聞敷島球場)で最後の登板を経験しており、前橋市は彼の野球人生において切っても切り離せない特別な場所です。
「実家は蕎麦屋を営んでいるのではないか」といった噂が囁かれることもありますが、これらを裏付ける公式報道や本人の発言は一切存在しません。
夢を叶えた地元・前橋での凱旋勝利
井上選手の実家と地元への思いが最も強く表れたのが、2024年7月3日に上毛新聞敷島球場で行われた中日ドラゴンズ戦です。
この試合に先発登板した井上選手は、8回無失点・7奪三振という圧巻のピッチングを披露し、見事に勝利投手となりました。
プロ入り後、数々の怪我に苦しんできた彼にとって、生まれ育った地元のマウンドで躍動し、勝利を飾ったことは、まさに「夢の実現」でした。
スタンドには両親や兄をはじめ、親戚や少年野球時代の友人など多くの地元ファンが駆けつけ、彼の凱旋勝利を祝福しました。
024年7月3日の前橋・上毛新聞敷島球場での凱旋登板をテレビでリアルタイム観戦していました。
ヒーローインタビューで選手が照れながら「お父さん、お母さん、おじいちゃん、勝ったよ!」と言った瞬間、本当に胸が熱くなりました。
「ああ、こんなに近くで家族が応援してくれているんだ」と感じて、ただの野球の勝利ではなく「家族の絆の物語」を見ているような気分になったんです。
スポーツ報知: 群馬での凱旋勝利を見届け、奇跡を連呼した巨人・井上の父・典之さん「頑張ってって言ったらだめだけど、頑張って…」 (2024年7月4日)
井上温大の家族構成:父親・母親・兄弟を紹介

家族構成は?
井上温大選手の家族構成は、父親、母親、兄、そして本人の4人家族です。
彼の野球人生は、この温かい家族の支えなしには語れません。ここからは、ご家族それぞれの人物像と、井上選手との心温まるエピソードを紹介します。
父親・典之さん:厳しくも温かい「野球の師匠」
井上選手の父親は、典之(のりゆき)さんです。
典之さん自身も樹徳高校時代に右投手として活躍した野球経験者であり、井上選手にとって最初の「野球の師匠」とも呼べる存在です。
幼少期からキャッチボールの相手を務め、現在の井上選手の最大の武器である「しなやかな投球フォーム」や「安定したリリースポイント」は、父親の指導が大きな基盤になっていると言われています。
典之さんは当時の息子について、「本当に昔から野球のことしか考えていない子でした。幼稚園の頃なんかは、買い物に行くと服屋さんの大きなガラスに自分が映るたびに、ピッチングフォームの確認をしていました」と振り返っています 。
プロ入り後、怪我で苦しむ息子を心配するあまり、典之さんがLINEで「頑張れ!」とメッセージを送ったところ、井上選手から「頑張ってる。だから頑張れって言わないで!」と怒られてしまったという、親子のリアルな関係性が伝わるエピソードもあります。
常に息子の背中を押し続け、2024年の地元凱旋勝利をスタンドで見届けた際には、「奇跡ですよ!奇跡としか言いようがない」と手放しで喜びを爆発させていました 。
母親・友理子さん:深い愛情で見守る精神的支柱
井上選手の母親は、友理子(ゆりこ)さんです。
プロ入り後に度重なる怪我で育成契約にまで落ち込んだ時期、友理子さんは「もうこの先はダメかな」と、母親として深い不安と葛藤を抱えていました 。
スポーツ報知: 「一生に一度しかない」巨人・井上温大の母・友理子さん「またこの球場で」夢を叶えてくれた息子の凱旋勝利に感慨 (2024年7月4日)
「けがが治るか分からなくて『もう俺ダメかも』って言うこともありました。いつでも帰ってきてくれればって、毎回思ってるんですよ」というご両親の言葉からは、プロの厳しい世界で戦う息子を心配し、無条件で受け入れようとする深い愛情が感じられます 。
そんな苦難の時期を乗り越えて実現した2024年の地元凱旋登板。
友理子さんは「一生に一度しかないと思って応援に来ました。地元で投げられるなんて、もう、すごい。なんて表現していいかわからない気持ちです」と涙ぐみながら語りました 。
ヒーローインタビューの舞台で、井上選手がマイクを通して「お父さん、お母さん、おじいちゃん、勝ったよ!」と満面の笑みで呼びかけた瞬間は、家族にとってこれまでの苦労が報われた最高の瞬間だったに違いありません。
兄・唯人さん:野球を始めるきっかけをくれた存在
井上選手には、3〜4歳年上の兄・唯人(ゆいと)さんがいます。
井上選手が野球を始めた最大のきっかけは、この兄の存在でした。兄が先に少年野球チームに入ってプレーしている姿を見て、自然と自分も野球の道へと進んでいきました。
練習帰りに兄弟二人でソフトクリームを食べた思い出など、幼い頃からの仲の良さがうかがえるエピソードも残されています。
巨人ファンの間では「愛され弟キャラ」として定着している井上選手ですが、その根底には、兄の背中を追いかけ、愛情を受けながら育ってきた背景があるのでしょう。
もちろん、2024年の地元凱旋試合にも唯人さんは両親と共にスタンドへ駆けつけ、弟の晴れ姿をしっかりと見届けています。
怪我を乗り越えて:2026年シーズンと今後の展望
家族の支えを胸に、井上温大選手はプロ野球選手としてさらなる高みを目指しています。
2025年シーズン終盤に発症した左肘の痛みは、彼にとって大きな試練となりました。
秋季キャンプへの参加も見送り、2026年の春季キャンプは3軍の故障班(宮崎・都城)からのスタートという、非常に苦しいオフシーズンを過ごしました。
しかし、彼は決して諦めませんでした。地道なリハビリと肉体改造に取り組み、見事に怪我を克服。
そして迎えた2026年4月5日のDeNA戦。今季初登板・初先発のマウンドに上がった井上選手は、「怖さもなく腕もしっかり振れていた」と語る通り、150キロを超える直球を軸に7回を3安打1失点、8奪三振に抑え込む圧巻のピッチングを披露しました 。
実に225日ぶりとなる白星を手にしたこの復活劇は、彼の精神的なタフさと、投手としてのさらなる進化を証明するものでした。
評論家の高木豊氏も「巨人の救世主になってほしい」と期待を寄せるほど、現在の井上選手の投球には凄みが増しています。
スポーツ報知: 【巨人評論】高木豊氏が復活の井上温大に「救世主になって」 (2026年4月5日)
家族の夢と共に目指す「日本のエース」
井上選手には、かつて母親の友理子さんに語った大きな夢があります。
それは「いつかジャパンのユニホームを着たい」という夢です 。
2024年に侍ジャパンに選出され、その夢は一度現実のものとなりましたが、彼の目標はさらにその先にあります。
巨人の井上温大(群馬・前橋商高出身)が初の侍ジャパン入り(上毛新聞)
巨人の先発ローテーションの柱として、そして日本を代表する左腕エースとして、一年を通して活躍し続けること。
群馬県前橋市の河川敷で泥だらけになってボールを投げていた少年は、厳しくも優しい父親の指導、心配しながらも温かく見守る母親の愛情、そして背中を追いかけた兄の存在という「家族の絆」を力に変え、今日も東京ドームのマウンドで躍動しています。
怪我を乗り越え、心身ともに一回り大きくなった井上温大選手のこれからの活躍から、絶対に目が離せません。
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