中日ドラゴンズの石川昂弥選手は、2026年10月25日時点で結婚を発表していません。交際相手についての報道もなく、私生活がほとんど表に出てこない選手です。
その代わり、家族のことはかなり詳しく分かっています。実家は愛知県半田市有脇町。父の尋貴(ひろたか)さんは1989年春のセンバツを制した東邦高校野球部の一員で、母の由香子さんも東邦の出身です。4学年下の弟・瑛貴(てるき)さんは、東邦で主将と4番を任されました。
石川昂弥は結婚してる?彼女の有無と最新情報
プライベートについて確認できた範囲を、先に一覧にしておきます。
| 項目 | 確認結果(2026年10月25日時点) |
|---|---|
| 結婚・入籍 | 発表なし |
| 婚約 | 報道なし |
| 交際相手・熱愛 | 報道なし |
| 好きな女性のタイプ | 出典を確認できず |
2026年10月時点で結婚・入籍の発表はない
石川選手が結婚や入籍を公表したことは、これまで一度もありません。球団の発表や主要スポーツ紙の報道をさかのぼっても、結婚や婚約を伝える記事は見つかりませんでした。
プロ野球選手の結婚は、球団を通じたコメントやスポーツ紙の報道で明らかになるのが通例です。その発表がない以上、いま言えるのは「結婚の発表はない」というところまで。結婚しているかのような話を見かけても、根拠のある情報とは言えません。新しい動きを確かめたいときは、中日ドラゴンズの公式発表を見るのが確実です。
彼女はいる?熱愛報道は見当たらない
交際相手も同様で、熱愛を報じた記事や、本人が恋人の存在を明かしたインタビューは確認できません。
まとめサイトの中には、好きな女性のタイプとして芸能人の名前を挙げているものもあります。ただ、その元になったインタビューまではたどれませんでした。発言の出どころが確認できないため、この記事では扱っていません。
石川昂弥の実家は愛知県半田市有脇町

有脇小・亀崎中から東邦へ進んだ地元育ち
石川選手が生まれ育ったのは、知多半島の中ほどにある愛知県半田市です。
半田市の報道資料(応援コーナー設置のお知らせ)には、半田市有脇町の出身で、有脇小、亀崎中を経て東邦高校へ進んだと書かれています。
中学校を別の学校としているネット記事もありますが、市の資料に載っているのは市内の亀崎中学校です。中学時代は硬式の知多ボーイズでプレーし、愛知選抜や野茂ジャパンにも選ばれてアメリカ遠征を経験しました。
実家には野球仲間が泊まりに来ることもありました。中学3年の大みそかには、ドラゴンズジュニアで一緒だった稲生賢二選手(のちに愛工大名電へ進学)が石川家に泊まり、中学生活最後の年越しを一緒に迎えています。
記念植樹に「TAKAMETER」、市を挙げた応援
地元の応援は、市役所を巻き込んだ本格的なものです。市は資料の中で石川選手を「半田市を代表するプロ野球選手」と紹介しています。2019年のセンバツでは有脇町の大応援団が声援を送り、半田市役所ではパブリックビューイングも開かれました。その後も、市が報道機関向けに出した資料をたどると、こんな取り組みが並びます。
| 時期 | 半田市での主な取り組み |
|---|---|
| 2019年4月 | センバツ優勝投手として市長が表彰 |
| 2020年1月 | 母校の有脇小学校に入団記念の桜を2本植樹 |
| 2020年7月 | クラシティ3階に等身大パネルなどの応援コーナーを設置 |
| 2021年2〜3月 | 応援メッセージを募り、1冊のメッセージ集にして本人へ |
| 2022年4月 | 市役所1階ロビーに本塁打数を数える「TAKAMETER」を設置 |
植樹祭には、本人に代わって父の尋貴さんが出席すると市から案内されていました。応援メッセージは募集の途中で300件を超え、半田市PR大使の平野泰新さん(MAG!C☆PRINCE)も言葉を寄せました。TAKAMETERはイチローさんの安打数を数えた「ICHIMETER」にあやかって、プロ初本塁打の直後に設けられています。
市の広報紙も、たびたび石川選手を取り上げてきました。2023年初めの号では、ナゴヤ球場で自主トレーニング中の本人を取材。ケガを治して一軍に戻ることと、ホームラン20本を目標に掲げ、この年に自己最多の13本塁打を放ちました。別の号では座右の銘に「有言実行」を挙げ、小さいころから夢や目標を口に出して達成してきたと話しています。
石川昂弥の父・尋貴さんは1989年センバツVの東邦野球部員

1989年春、東邦高校はセンバツで優勝しました。平成最初のセンバツです。この代の野球部に、父の尋貴さんがいました。同期には、のちに中日と広島でプレーした山田喜久夫投手がいます。その30年後、平成最後のセンバツで息子が東邦を頂点に導いたことになります。
ベンチ入りできなかった捕手が打ち続けたノック
もっとも、尋貴さん自身は甲子園でベンチに入れませんでした。ポジションは捕手で、甲子園ではアルプス席から声援を送っています。
Number Webで父・尋貴さんを取り上げた記事によると、練習では投手の球を受け、力強いノックでチームメートを鍛える役回りだったそうです。選手としての野球は大学に入って区切りをつけましたが、鍛えたノックの腕は、のちに息子たちの練習で役立ちます。教えたのは「捕る、打つ、投げる」の基本と、上には上がいると認めたうえで、そこで満足しない考え方だったと振り返っています。野球をやれと命じた覚えはなく、物心がつく前から自然とボールに触れていたといいます。
厳しいチーム選びと東邦進学に込めた父の考え
尋貴さんの子育てを詳しく伝えているのが、現代ビジネスの2017年のルポです。取材当時は自動車会社に勤めていました。
記事によると、長男の昂弥選手を保育園の年長から野球教室に通わせ、小学2年では地元で一番厳しいといわれた少年野球チーム「ツースリー大府」を選んでいます。迷いはあったそうです。尋貴さん自身は野球を楽しみたいタイプで、阪口慶三監督が率いた時代の東邦の厳しさに嫌気が差した時期もあったからです。それでも、幼いうちに厳しさを知っておくことを優先しました。記事は、その甲斐あって小学6年でドラゴンズジュニアに選ばれたと伝えています。
中学では知多ボーイズでの練習とは別に、東邦OBが開く野球塾にも通わせ、個人練習を積ませました。高校は大阪桐蔭の西谷浩一監督が熱心に誘うほどでしたが、選んだのは母校の東邦。試合を見に行けて、チームの内情も分かるからという理由でした。当時の森田泰弘監督は、尋貴さんの高校時代にコーチとして指導した人物でもあります。同じ記事では、まだ挫折を知らない息子に対し「早くそんな壁にぶつかってほしい」という親心も明かしていました。
石川昂弥の母・由香子さんも東邦出身
母の由香子さんは尋貴さんの1学年後輩で、同じ東邦高校に通っていました。両親がそろって東邦の出身で、のちに長男と次男もそのユニホームに袖を通すことになります。
2017年の取材で由香子さんが明かしていたのは、息子の食の細さです。高校入学直後の体格は185cm・72kg。当時、中日で少年野球を担当していた水谷啓昭さんは、腰回りにもっと肉をつけることを課題に挙げていました。由香子さんによると、ご飯の量が少なく、油っこいものも苦手だったといいます。
東邦では、森田監督が経営する焼肉店の3階に、ほかの部員2人と下宿しました。森田監督は文春オンラインのインタビューで、食は細いが好き嫌いはなく、入学時は上半身が薄かったと振り返っています。店のガレージを改装したウエートルームで、食後すぐに鍛えられる環境もあったそうです。現在の登録は186cm・100kg。高校入学時から30kg近く体重を増やしたことになります。
母親については、手料理や旅行の思い出として広まっている話もあります。ただ、元の記事や本人の発言を確認できなかったため、この記事では取り上げていません。
石川昂弥の弟・瑛貴さんは東邦の主将で4番

弟の瑛貴さんの読みは「てるき」。兄の4学年下で、同じ東邦高校で野球を続けました。
高校野球ドットコムの選手データでは182cm・84kgの右投右打。顔立ちや構えが兄によく似た強打者と紹介され、2022年秋には新チームの主将兼4番に。明治神宮大会の初戦の相手は大阪桐蔭でした。
センバツで兄の応援歌をリクエスト
2023年春、東邦は兄の代の優勝以来、4年ぶりにセンバツへ出場しました。大会中は、兄弟での甲子園優勝に挑む選手としてメディアにも取り上げられています。3月19日の初戦でも好機を広げる一打を放ちましたが、見せ場は次の試合でした。
東スポWEBの2023年センバツの記事によると、3月25日の高松商戦で瑛貴さんは4回に勝ち越しの適時二塁打。この日は二塁打3本を含む4打数3安打1打点で、チームも6対3で勝ってベスト16に進みました。
勝ち越し打の場面でアルプスから流れていたのは、兄・昂弥選手の応援歌です。瑛貴さん自身が応援団にリクエストしていました。前の晩には兄からLINEで「頑張れよ!早く寝ろよ!」と届き、返事はスタンプひとつで済ませたそうです。
落ち着いた兄とにぎやかな弟
同じ取材で瑛貴さんは、兄は落ち着いていて、自分はかなりうるさい方だと笑って話しています。兄の高校時代を見てきた森田前監督も、目立つことを好まないマイペースな性格だったと証言し、主将に指名したのはリーダーシップを育てるためだったと明かしています。
高校卒業後の瑛貴さんの進路については、大学名を挙げたネット記事もあるものの、信頼できる報道では確認できませんでした。なお、石川選手には姉がいると紹介されることもありますが、一般の方であり、詳しい情報は公表されていません。
石川昂弥のプロフィール【2026年10月時点】
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 石川昂弥(いしかわ・たかや) |
| 生年月日 | 2001年6月22日(25歳) |
| 出身地 | 愛知県半田市有脇町 |
| 身長・体重 | 186cm・100kg |
| 投打・守備 | 右投右打・内野手(主に三塁) |
| 学歴 | 有脇小→亀崎中→東邦高 |
| ドラフト | 2019年1位(3球団競合の末に中日) |
| 背番号 | 25(2020〜2022年は2) |
| 家族 | 父・尋貴さん、母・由香子さん、弟・瑛貴さん |
| 結婚 | 発表なし |
| 2026年成績 | 103試合、打率.249、11本塁打、42打点 |
東邦では主将、4番、エースを兼ね、2019年春のセンバツで全5試合に先発して3本塁打。チームを優勝に導きました。高校通算は55本塁打で、U-18ワールドカップでは日本代表の4番も務めました。この年のドラフトでは中日、オリックス、ソフトバンクの3球団が1位で入札し、抽選で地元の中日が交渉権を引き当てています。入団時に背負った2番は、守備の名手として鳴らした荒木雅博さんの番号でした。
プロ1年目の2020年7月12日、広島戦で一軍デビューを果たし、初打席で初安打。ただ、そこからは故障との戦いが続きます。2021年は二軍戦の死球で左尺骨を骨折し、2022年は左ひざの前十字靱帯を痛めて長期離脱。初めて規定打席に届いたのは4年目の2023年でした(121試合、13本塁打)。
2024年は82試合で打率.272。2025年は開幕4番に抜てきされながら22試合の出場に終わり、7年目の2026年も4月1日に二軍降格を経験しています。それでも一軍復帰後は出場を重ね、2023年以来となる2桁本塁打をマーク。解説者の高木豊さんは、素材からすればまだ6割ほどの力で、残りは伸びしろだと評しました。年度別の数字はNPB公式サイトの個人年度別成績で確認できます。
まとめ:石川昂弥の結婚や彼女?実家が半田?父親?弟や姉?母?家族!を調査
石川昂弥選手は家族との絆の深さが際立つ、プロ野球界注目の選手です。父親の徹底指導や母親の栄養管理、姉弟のスポーツ経験が相乗効果を生み出し、高校時代から頭角を現しました。
地元・半田市に根付く応援も大きな力となり、オフには実家へ帰省してリフレッシュするなど、家族愛が彼を一層輝かせているのです。今後、さらなる成長や弟との対決が期待される一方、結婚や恋愛事情の続報を気にするファンも少なくありません。彼のプレーとともに、その温かな家族模様にも注目しながら、ぜひこれからの活躍を見守りましょう。
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