山本浩二さんの奥さんは鏡子(きょうこ)さん。子どもは息子が3人で、娘はいません。「ミスター赤ヘル」と呼ばれた広島東洋カープの元4番打者は、2019年にがんの手術を受けたものの、2026年も野球解説やOB戦「サントリー ドリームマッチ」の監督として元気な姿を見せています。
ネット検索では「娘」「サントリー」「パチンコ」といった言葉が「息子」と一緒に並び、家族の話が混ざりやすいのも事実です。この記事では、奥さんとの馴れ初め、3人の息子の現在、検索語に出てくる噂の正体、被爆者である兄・宏さんら実家の家族構成まで、本人の連載や報道各社の記事をもとに整理しました。
山本浩二の家族構成を一覧で確認
最初に全体像を押さえておきます。生まれ育った実家の家族と、結婚してからの家族を分けると整理しやすくなります。
| 続柄 | 名前・概要 | 補足 |
|---|---|---|
| 本人 | 山本浩二(本名・浩司) | 1946年10月25日生まれ、広島県佐伯郡五日市町(現・広島市佐伯区)出身 |
| 妻 | 鏡子さん | 法政大学時代に出会い、1970年12月に結婚 |
| 長男 | 一般人 | 名前・職業は非公表 |
| 次男 | 一般人 | 名前・職業は非公表 |
| 三男 | 山本崇文さん | 1978年12月23日生まれ、PGAティーチングプロ。2022年にせんだるかさんと結婚 |
| 娘 | いない | 本人の手紙にも「娘のいない私達夫婦」と記されている |
| 父 | 元陸軍軍人 | 戦後は土木会社「広島機管工業」を経営。大阪から広島に入り入市被爆 |
| 母 | 1945年8月6日に己斐で被爆 | 高校まで野球の応援に通った |
| 兄(長兄) | 山本宏さん | 7歳で被爆。東京都江戸川区の被爆者団体「親江会」会長 |
| 兄(次兄)・姉 | 一般人 | 己斐で被爆。詳細は非公表 |
本人は4人きょうだいの末っ子で、母ときょうだい3人が広島で被爆した被爆2世です。
山本浩二の奥さんは誰?妻・鏡子さんとの馴れ初めと結婚

法政大学の同期に紹介され、1970年12月に結婚
山本浩二さんの奥さんは鏡子さんです。2人が出会ったのは法政大学野球部時代、3年生の秋でした。同期部員の吉田京司さんの従妹として紹介されたのが鏡子さんで、この経緯は本人がスポーツニッポン紙上の連載「我が道」(2013年)で明かしています。
4年生になると、鏡子さんは土日の試合をほとんど神宮球場で観戦するようになりました。当時の神宮は観客が少なく、外野の芝生席に座る彼女はよく目立ったはずなのに、本人は「誰の彼女じゃろか」と思う程度で、自分を見に来ていることに気づいていなかったと振り返っています。
プロポーズの言葉は「両親に会ってくれ」。それだけだったそうです。1968年のドラフト1位で広島に入団し、1年目のオフに両親へあいさつ。2年目のオフにあたる1970年12月17日に結婚しました。
遠征続きの夫を支えた「スポンジボール」と1979年のスランプ脱出
当時のプロ野球選手は、1年の半分を遠征で家を空けるのが当たり前でした。山本さん自身、子どもの行事に顔を出したのは長男の運動会の1回くらいしか記憶になく、教育は妻に任せきりだったと語っています。
鏡子さんは家計を預かるだけではありませんでした。新婚時代、自宅でピンポン球ほどのスポンジボールを投げて夫のスイングに付き合っていたことも、本人の連載に出てきます。
よく語られるのが1979年の出来事です。前年に初の本塁打王を獲った山本さんは、この年5月まで打率2割3分台と深刻なスランプに陥り、食が細って体重も落ちました。鏡子さんは野球の話をあえて避け、「外へ食事に連れて行って」と誘って気分を切り替えさせたといいます。6月から復調し、シーズンでは42本塁打・113打点で自身初の打点王。チームも初の日本一に輝きました。
鏡子さんは今も表舞台に出ることがほとんどありません。山本さんが野球に専念できたのは妻のおかげだと繰り返し語ってきた、裏方に徹した奥さんです。
山本浩二の息子は何人?「息子 サントリー」「息子 パチンコ」?長男・次男・三男の結婚と娘

息子は3人、娘はいない|長男・次男は一般人で非公表
山本浩二さんの子どもは息子3人です。2022年11月の三男の結婚を伝えたデイリースポーツ、オリコン、日刊スポーツなどの記事はそろって「三男・崇文さん」と書いており、長男と次男がいることはここからも裏づけられます。
長男と次男は野球界に進まず、一般の仕事に就いているため、名前や職業は公表されていません。本人や球団が発表した情報もなく、ネット上に出回っている名前は裏づけが取れないものです。この記事でも憶測で補うことはしません。
娘はいません。三男の結婚後に山本さんが息子の妻へ宛てた手紙は「娘のいない私達夫婦は」という書き出しで始まっており、本人の言葉として確認できます。それでも「山本浩二 娘」と検索されるのは、せんだるかさんが本当の娘のように接してもらっていると紹介されたことや、三男の名前がメディアに出るたびに家族の話題が広がったことが背景にあると考えられます。
三男・山本崇文さんはPGAティーチングプロ|せんだるかさんと2022年に結婚
三男の山本崇文(たかふみ)さんは1978年12月23日生まれ、広島県出身です。父と同じ野球ではなくゴルフを選び、堀越高校ゴルフ部、日本大学ゴルフ部を経て2008年に日本プロゴルフ協会(PGA)へ入会しました。現在は東京都内のゴルフ練習場を拠点にレッスンを担当するティーチングプロで、タレント・アスリート事務所の株式会社Gifutに所属しています。
2022年11月1日、タレント・せんだみつおさんの長女で、タレントとパチンコライターを兼ねるせんだるかさん(当時41歳)と結婚しました。1並びで大安だったこの日、2人で婚姻届を提出したとせんだ側の事務所が発表しています。崇文さんは当時43歳でした(デイリースポーツの結婚報道(2022年11月2日))。
出会いは20年以上前にさかのぼります。崇文さんが通っていた東京・世田谷のバーで、新人アルバイトだったるかさんと顔見知りになり、互いの父親のことも知りました。
それから17年ほど経ち、ゴルフのレッスンスタジオで再会。仲間との酒席で崇文さんの仕切りぶりを見たるかさんが「父を超えてきた人を見た」と感じたことが、交際の始まりでした。2人は2025年3月30日放送のABCテレビ『新婚さんいらっしゃい!』に出演し、結婚式で山本浩二さんとせんだみつおさんが2人で乾杯の音頭を取った様子も紹介されています(デイリースポーツの番組出演記事(2025年3月30日))。
「息子 サントリー」「息子 パチンコ」と検索される理由
「山本浩二 息子 サントリー」と検索しても、サントリーに勤める息子がいるという報道は見つかりません。この組み合わせが出てくる理由は、息子ではなく山本さん本人にあります。
山本さんは1995年から続くOB戦「サントリー ドリームマッチ」で、長年「ザ・プレミアム・モルツ球団」の監督を務めてきました。第30回となる2026年7月27日の東京ドーム大会でも監督として采配を振り、張本勲GMや田尾安志さんらとオープニングセレモニーに登場しています(サントリー ドリームマッチ2026の出場選手ページ(サントリー公式))。現役引退後にはサントリー「モルツ」のCMにも出演しており、「山本浩二=サントリー」というつながりに「息子」が混ざって検索されているのが実情です。
「パチンコ」は、三男の妻・せんだるかさんの仕事と結びついています。るかさんはタレント活動と並行してパチンコ雑誌のライターを務め、イベント会社の経営にも携わってきました。山本さんが嫁に宛てた手紙の結びにも、麻雀、パチンコ、ゴルフを一緒に楽しもうという一文があります。義理の娘の職業と家族の楽しみが「息子 パチンコ」という検索語になったと見るのが自然でしょう。
山本浩二の現在|生きてる?2026年も解説者・OB戦の監督として活動中
2019年に膀胱がんと肺がん、1年で4回の手術を乗り越える
「山本浩二 生きてる」と検索されるのは、2019年に長く表舞台から姿を消した時期があったからです。この年の春先に体調を崩して解説の仕事を休み、7月のサントリー ドリームマッチも体調不良で欠席。公の場に出ない期間が続いたことで、病気を心配する声が広がりました。
2020年2月、山本さんは日本テレビ解説者として訪れた巨人のキャンプで取材に応じ、前年に膀胱がんと肺がんを患って手術を受けたことを自ら公表しました。2024年1月の中国新聞の連載「生きて」第1回(ヒロシマ平和メディアセンター)では、最初に膀胱にがんが見つかり、検査で肺にも見つかって進行が早いと言われたためすぐに肺を手術、2週間後に再手術、2カ月置いて膀胱を全摘し、1年で4回の手術を受けたと経過を詳しく語っています。転移はなく、約20キロ落ちた体重も10キロ以上戻り、散歩が日課になり、ゴルフにも出かけていると語っています。
2026年の活動|ドリームマッチ監督、日本テレビ解説、名球会顧問
復帰後は日本テレビ・広島テレビの野球解説者として活動を続けています。2025年4月には巨人―中日戦(BS日テレ)で解説を担当し、同年5月11日には東京六大学野球連盟の結成100周年を記念した「レジェンド始球式」で神宮球場のマウンドに立ちました。
2026年もサントリー ドリームマッチで監督を務めたほか、日本プロ野球名球会のYouTube番組にも出演しています。名球会では2014年から2022年まで理事長を務め、現在は顧問。1946年10月25日生まれの山本さんは、2026年10月に80歳を迎えます。
山本浩二の実家|父山本武・母山本正江・兄2人・姉と被爆の記憶
父・山本武は元軍人で土木会社を経営、母山本正江の教え「おごるな、てんぐになるな」
山本浩二さんは1946年10月、広島県佐伯郡五日市町(現・広島市佐伯区)で4人兄弟の末っ子として生まれました。
中国新聞「生きて」第2回(ヒロシマ平和メディアセンター)で本人が語った実家の姿は次のとおりです。
父は陸軍の軍人で、原爆投下の日は勤務地の大阪にいて、後に広島市内へ入って入市被爆しました。戦後は「広島機管工業」という土木工事の会社を経営。カープが大好きで、雑音まじりの短波放送で野球中継を聞き、家族だんらんの話題はいつもカープだったそうです。子どもの頃の浩二さんは親に連れられ、太田川の渡し船で広島県営球場へ通いました。
母は1945年8月6日、己斐(現・広島市西区)の自宅で被爆しました。家は爆風で大破したものの、屋内にいた家族は壁に守られる形で助かったといいます。優しい人で、「おごるな。てんぐになるな。溺れるんじゃないよ。自重しなさい」が家のしきたり。高校ぐらいまで、いつも野球の応援に来てくれたと振り返っています。
マージャン好きの一家でもあり、小学4年生ごろから父や兄2人と卓を囲んだ話も連載に登場します。
兄・山本宏さんは被爆者団体「親江会」会長、次兄と姉は非公表
兄2人と姉も、母と同じ日に己斐で被爆しています。家族の間では原爆の話をほとんどしない決まりのようになっていて、本人は大人になるまでくわしく聞いたことがなかったそうです。
長兄の山本宏さんは浩二さんより9歳上。幼少期を満州で過ごし、広島へ戻った直後の小学2年生、7歳のときに爆心地から西へ約2.5キロの己斐町で被爆して大けがを負いました。長く記憶にふたをしてきましたが、2023年の共同通信の取材(静岡新聞に掲載)には、弟の活躍が「うれしかった。つらい体験を忘れられた」と語っています。現在は東京都江戸川区の被爆者団体「親江会」の会長として証言活動を続けており、2025年には弟の浩二さんとそろって被爆体験をめぐる対談にも登壇しました。
次兄と姉は一般の方で、名前や現在の暮らしは公表されていません。
FAQよくある質問
まとめ:山本浩二の奥さん誰?現在生きてる?息子何人・長男次男三男の結婚とサントリー・パチンコ、娘・兄・家族
山本浩二さんの奥さんは鏡子さん。子どもは息子3人で、娘はいません。長男・次男は一般人、三男の崇文さんはPGAティーチングプロで、2022年にせんだるかさんと結婚しました。「サントリー」はドリームマッチの監督とCM、「パチンコ」は義理の娘の仕事に由来する検索語で、息子本人の話ではありません。
実家は父・母・兄2人・姉の6人家族。母ときょうだいは広島で被爆し、長兄の宏さんは今も体験を語り継いでいます。2019年にがんを乗り越えた山本さん自身は、2026年もドリームマッチの監督や解説で健在です。
出典メモ
出典メモ:スポニチ(2020/2/7・2/8、2022/11/2)/日刊スポーツ(2020/7/30、2025/11/29)/ORICON(2022/11/2)/ABCマガジン(2025/4/2)/住友不動産ステップ(2016/2/2)/広島テレビ(Carp Legend Game 2025)
本文には入れていないが使えるURL
| 媒体 | URL | 使いどころ |
|---|---|---|
| 株式会社Gifut 山本崇文プロフィール | gifut.co.jp | 三男の生年月日・経歴・所属の一次情報。三男H3に追加可 |
| ABCテレビ記事(livedoor配信、2025年3月) | news.livedoor.com | 手紙の文面(「娘のいない私達夫婦は」、麻雀・パチンコ・ゴルフ)の出典 |
| 野球殿堂博物館 山本浩二 | baseball-museum.or.jp | 2008年殿堂入り、生年月日、出身校の公式プロフィール |
| 日本プロ野球名球会 会員ページ | meikyukai.jp | タイトル歴・殿堂入り年の公式データ |
| サントリー ニュースリリース(2026年大会告知) | suntory.co.jp | 7月27日開催、山本浩二監督の記載 |
| Full-Count(2025年5月12日) | full-count.jp | 東京六大学100周年レジェンド始球式 |
| オリコン(2022年11月) | oricon.co.jp | 結婚報道の2本目として。るかさんの職業(タレント・パチンコライター・飲食店経営) |
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