深津瑠美の経歴・若い頃と昔|元カレ、身長・出身高校・父親と両親、菊池雄星との馴れ初めやブランド

男女のツーショットに赤い文字を重ねた画像

深津瑠美(ふかつ・るみ)さんは、メジャーリーガー・菊池雄星投手の妻で、元フリーアナウンサーです。1986年6月24日生まれ、神奈川県出身。NHK BS1「ワールドスポーツMLB」で平日のメインキャスターを務め、2016年に菊池投手と結婚しました。

現在はアメリカで子育てをしながら、日本でアパレルブランド「The Ruby’s」を経営しています。

身長や出身高校、両親については公表されていません。以下では、公式プロフィールや本人のインタビュー、新聞・雑誌の報道で確認できた事実に絞って、若い頃から現在までの経歴をたどります。

目次

深津瑠美のプロフィール|身長や年齢、現在の肩書き

項目内容
名前深津瑠美(ふかつ・るみ)
本名菊池瑠美(旧姓・深津)
生年月日1986年6月24日(40歳)
出身地神奈川県
血液型B型
身長非公表
学歴フェリス女学院大学文学部卒業
職業元フリーアナウンサー、アパレルブランド「The Ruby’s」Founder兼CEO
所属ベルキッスコーポレーション
家族夫・菊池雄星(ロサンゼルス・エンゼルス)、長男(2019年生まれ)

※年齢・所属は2026年10月時点

身長は、深津瑠美さんの公式サイトのプロフィールにも、所属事務所の紹介ページにも載っていません。ネット上には具体的な数字を挙げる記事もありますが、どれも出典が示されていないため、ここでは非公表として扱います。

スタイルについて本人が発信しているのは、数字よりもトレーニングや食事の話です。そこに至った経緯は、後半のブランドの項で紹介します。

深津瑠美の若い頃・昔|児童合唱団から読者モデルへ

深津瑠美の若い頃・昔|児童合唱団から読者モデルへ

アナウンサーになったのは2009年ですが、テレビとの縁は小学生の頃に始まっていました。

小学1年生でNHK東京児童合唱団に入団

子どもの頃の憧れは、教育番組の「うたのおねえさん」。小学1年生で人生初のオーディションを受けてNHK東京児童合唱団に入り(42期生)、教育番組にも出演しました。放課後はほぼ毎日テレビ局に通っていたと、カナダの日本語情報誌TORJAに掲載されたインタビューで振り返っています。

出身高校は非公表|アナウンサーを志したのは高校時代

出身高校の名前は、公式プロフィールにも本人の発言にも出てきません。推測で学校名を挙げるネット記事はあるものの、裏付けとなる情報は見つかりませんでした。

はっきりしているのは、アナウンサーを目指したのが高校時代だということです。実家の近所に、イチロー選手を長く取材していた記者が住んでいて、その妻がアナウンサーでした。進路に迷っていた深津さんは、誘われて早朝の生放送の現場を見学します。報道の現場を「かっこいい」と感じたのが、この仕事を志した出発点でした。

もっとも、本人いわく性格はシャイで人見知り。人前で話すことに慣れるため、高校では選挙管理委員長に挑戦しています。

フェリス女学院大学時代は『Ray』の読者モデル

進学したのは横浜のフェリス女学院大学文学部です。在学中は女性誌『Ray』の読者モデルを務め、ミス東京ウォーカー読者モデルコンテストではグランプリを受賞しました。モバHO!と夕刊フジが共同制作していた「夕刊フジTV」では、キャスターも担当しています。

大学1年生のときには大学のPR役を任され、その後は報道番組のADとして現場に入った経験もあります。多くのアナウンサーと接するうちに、スタッフに愛され、一緒に番組づくりを楽しめるアナウンサーになりたいと、目指す姿がはっきりしたといいます。

深津瑠美に元カレ・元彼はいた?熱愛報道を確認

菊池投手と出会う前に、特定の男性との交際が報じられたことはありません。週刊誌の熱愛記事も見つからず、元カレ・元彼として名前が挙がる人物は確認できませんでした。

当時の深津さんは、多忙を理由に食事の誘いを断るほどの仕事一筋。スポーツ番組に携わる立場として、選手個人と関わるべきではないとも考えていたと、本人がインタビューで話しています。

元カレの話題で名前が出やすいのが、明石家さんまさんです。2016年7月、MBS「痛快!明石家電視台」で、さんまさんは深津さんと一度だけ食事に行ったことを明かしました。ただ、その後の進展はなし。結婚が決まったときには本人からLINEで報告が届いた、という笑い話として語られたものです。

交際していたわけではないので、元カレとは言えません。同じ放送では、深津さんがスポーツ選手との交流を避けていたことも紹介されていました。

深津瑠美の父親・両親と実家について分かっていること

父親・母親の名前や職業は公表されていません。両親がテレビやSNSに登場したこともなく、家族の詳しい話は本人も控えています。出身地は神奈川県ですが、実家の場所も明かされていません。

高校時代の見学のきっかけが実家のご近所づきあいだったことのほかに、家族にまつわる話として伝わっているのは次の2点です。

  • 実家が留学生を受け入れていたため、自然と英語が身についた
  • 2019年にシアトルで出産した際、日本から家族が手伝いに来られたのは5日ほどだった

どちらも、週刊女性PRIMEが2026年3月に在米ジャーナリストの話として報じた内容です。同誌によると、菊池投手のメジャー挑戦が決まってから2人で英会話教室に通い、菊池投手がつまずくと深津さんが教えていたそうです。

深津瑠美の経歴|岡山放送からNHK BS1のキャスターへ

岡山放送を約10カ月で退社してフリーに

2009年4月、大学を卒業して岡山放送(OHK)に入社しました。報道記者を兼ねるアナウンサーとして働き、同年7月からは岡山・香川地区の地上デジタル放送推進大使も務めています。しかし2010年1月29日付で退社し、フリーに転身。在籍は約10カ月で、辞めた理由は公表されていません。

岡山の局にいたことから岡山出身と紹介されることもありますが、出身は神奈川県です。

報道からスポーツへ|「ワールドスポーツMLB」で平日メインに

フリーになってからの数年間は、ニュースが仕事の中心でした。TBSニュースバードのキャスター(2010年4月〜2011年9月)、BS11「INsideOUT」の月曜キャスター(2012年4月〜2014年3月)と、報道畑を歩いています。

転機は2014年です。事務所の勧めでNHKのスポーツ番組のオーディションを受け、合格。報道一筋だっただけに自信はなく、まずはバッティングセンターでバットを振るところから勉強を始めました。

2014年3月から2017年3月まで、NHK BS1「ワールドスポーツMLB」の月〜金曜キャスターを担当し、MLBのオフシーズンには「ワールドスポーツSOCCER」も受け持ちました。海外スポーツ好きの明石家さんまさんが番組を見ていたことから、バラエティー番組に呼ばれる機会も増えています。本人は当時を、仕事そのものが青春だったと振り返っています。

結婚後の2017年3月17日、ブログで所属事務所との契約終了と、フリーアナウンサーからの引退を報告しました。

深津瑠美の経歴年表

時期出来事
1986年6月神奈川県で誕生
小学1年生NHK東京児童合唱団に入団
大学時代『Ray』読者モデル。ミス東京ウォーカー読者モデルコンテストでグランプリ
2009年4月岡山放送に入社
2010年1月岡山放送を退社し、フリーに
2010年4月TBSニュースバードのキャスターに(〜2011年9月)
2012年4月BS11「INsideOUT」の月曜キャスターに(〜2014年3月)
2014年3月NHK BS1「ワールドスポーツMLB」の平日キャスターに(〜2017年3月)
2016年6月菊池雄星投手と結婚
2017年3月フリーアナウンサーを引退
2019年7月渡米先のシアトルで長男を出産
2022年4月講談社「with online」で連載を開始
2023年7月NHK BS1「ワースポ×MLB」に1日限定で出演し、トロントから中継
2024年9月アパレルブランド「The Ruby’s」を立ち上げ
2025年6月オンラインサロンを開設
2026年3月日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」WBC特別編に出演

深津瑠美と菊池雄星の馴れ初め|2年断り続けた食事の誘い

仕事一筋だった深津瑠美が根負けした食事会

深津瑠美と菊池雄星の馴れ初めは、テレビがきっかけでした。西武ライオンズに所属していた菊池投手が「ワールドスポーツMLB」を見て深津さんのファンになり、知人を通じて会いたいと伝え続けます。その期間はおよそ2年。深津さんは仕事とプライベートを分けたいと、誘いを断り続けました。

それでも諦めない菊池投手に、最後は深津さんが根負けします。2015年の暮れ、お互いのシーズンオフに合わせて、知人を交えて食事をしたのが最初の顔合わせでした。5歳年下とは思えない礼儀正しさと落ち着きに、驚かされたといいます。

交際が始まると、菊池投手は高校時代の同級生や野球部の監督、家族を順番に紹介しました。彼が信頼する人たちと過ごす時間が増え、最後はその監督とも話をして結婚への覚悟が決まったと、深津さんはwith onlineのインタビューで語っています。

結婚の決め手と30歳の誕生日の入籍

決め手の一つは、菊池投手が野球への熱意と夢を涙ながらに語った姿だったと報じられています。

入籍は2016年6月24日、深津さん30歳の誕生日でした。交際からおよそ半年でのゴールインです。7月6日に2人がそれぞれのブログで結婚を発表。オリコンニュースの結婚発表記事によると、深津さんは自分だけでなく家族も大切にしてくれる愛情深さ、明るく誠実で穏やかな性格、野球に真剣に向き合う姿勢に惹かれたとコメントしています。

2017年3月にはレギュラー番組をすべて離れ、夫を支える生活に軸足を移しました。菊池投手は結婚した2016年に自身初の2桁勝利を挙げ、翌2017年には16勝で最多勝を獲得しています。

シアトル、トロント、そしてカリフォルニアへ

2019年に菊池投手がマリナーズへ移籍すると、妊娠中だった深津さんも一緒に渡米し、同年7月にシアトルで長男を出産しました。頼れる人のいない土地での子育ては、ワンオペで苦しい時期もあったと公式サイトに書いています。

その後、ブルージェイズ時代の2022年からはトロントで生活。アストロズを経て2025年からエンゼルスでプレーする夫に合わせ、拠点はカリフォルニアに移りました。2023年7月には古巣の「ワースポ×MLB」に1日限定で出演し、トロントの本拠地からリポートしています。

深津瑠美のブランド「The Ruby’s」|立ち上げの理由と現在

深津さんがいま力を注いでいるのが、2024年9月20日に誕生したアパレルブランド「The Ruby’s」です。肩書きはFounder兼CEO、Director。オンラインでの商品販売のほか、トレーニングイベントも開いています。

産後の体型への誹謗中傷がきっかけ

始まりは2021年のオールスターゲームでした。菊池投手が選ばれ、家族でレッドカーペットを歩いた姿は日本でも大きく報じられます。その一方で、産後の体型を批判する書き込みがネット上に数千件寄せられ、弁護士に対応を求めるほどだったと、深津さんはThe Ruby’sの公式紹介ページで明かしています。

気持ちを立て直すきっかけは、シアトルで駆け込んだエステでかけられた言葉でした。出産を経た体をそのまま肯定してもらい、体型をめぐる日米の考え方の違いを知ったことで、自分を後回しにしないと決めたそうです。そこからトレーニングを日課にし、結婚後に取った栄養の資格も生かしながら、少しずつ自信を取り戻していきました。

Tシャツワンピースから始まった「Beauty & wellness」

ブランドの原点は、アメリカで学んだ健康的な美しさをテーマに、自分で作ったTシャツワンピースです。これがファンの間で話題になり、ブランドとして形になりました。コンセプトは「Beauty & wellness」です。

2024年10月にはフィットネスイベントを開き、2025年6月にはオンラインサロンも立ち上げました。テレビへの出演は多くありませんが、2025年6月と2026年3月には日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」に登場。2026年3月は、菊池投手がWBC日本代表として戦っていた時期と重なります。所属事務所のプロフィールには、野球を通じて日米をつなぐ架け橋になりたいという目標も記されています。

まとめ|深津瑠美の若い頃の経歴とプロフィール|出身・高校・実家や父親を徹底解説

深津瑠美さんの若い頃から現在までの経歴を振り返ると、以下のような確かな足跡が確認できます。

項目内容
基本情報1986年生まれ、神奈川県出身、フェリス女学院大学卒
学生時代の活動ミス東京ウォーカーグランプリ、読者モデル、ANAグランドスタッフアルバイト
アナウンサー志望の契機高校時代、近所のアナウンサーの生放送現場見学
実家・家族構成両親と妹2人の5人家族、留学生を受け入れるホストファミリー
キャリア岡山放送アナウンサー → フリー転身(TBS、NHK BS1等でスポーツ報道)
結婚と現在2016年に菊池雄星投手と結婚。2024年にアパレルブランド「The Ruby’s」を設立

深津瑠美さんの父親や実家の詳細な場所など、プライベートな部分については公開情報が限られていますが、本人が語るエピソードからは、地に足のついた努力家であり、現在は夫を支えながら自身の新たな夢にも挑戦する自立した女性像が浮かび上がります。

出典メモ:

  • Rumi Kikuchi Official Website(公式プロフィール)
  • with class「深津瑠美インタビュー」(2022年4月5日/14日)
  • デイリースポーツ(2016年7月6日/結婚報道)
  • 侍ジャパンオフィシャルサイト(2026年1月26日/WBC出場選手発表)
  • MLB.com(Yusei Kikuchi Stats, Bio)

リンクは貼らず、事実確認に使った資料

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