矢野謙次の結婚と家族|妻が巨人の応援歌に関わった経緯、息子・丈太朗の現在と娘・次男について

矢野謙次さんの奥さんは、巨人時代の応援歌を変えるきっかけを作った人です。最初の曲を聴いて、もっと違う応援歌にしてほしいと応援団長に掛け合いました。矢野さん自身がテレビで振り返った、現役時代の夫婦のエピソードです。

2018年秋、日本ハムで現役を終えた矢野さんに、札幌ドームで花束を手渡したのは2人の子供でした。約2カ月半後、長男の丈太朗(じょうたろう)さんが同じ球場の打席に立ち、謙次さんがスタンドから声援を送っています。

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矢野謙次の結婚生活?引退の決断を妻に伝えた日

矢野謙次の結婚生活?引退の決断を妻に伝えた日

「じゃあ次はどうするかを考えよう」。2018年、日本ハムで現役引退を決めた矢野さんが妻に打ち明けると、そんな言葉が返ってきたそうです。『週刊ベースボール』の引退インタビューで、決断を尊重してくれた妻の返事がありがたかったと振り返っています。

引退を意識し始めたのは、その年のシーズンが始まって5試合ほどで二軍に落ちたころでした。本人の気持ちは固まりつつありましたが、まだ迷いもあり、その時点では家族にも話していません。シーズンがもっと進んでから、先に妻に伝えたといいます。

結婚した年月や二人のなれそめ、妻の名前・職業は、今回確認した本人のインタビューや球団の発表からは特定できませんでした。

引退した月、矢野さんは母校・國學院大学のグラウンドで一人、自主練習をしていました。手元にはグラブとバットのほかに、ノックバットがありました。『Sportiva』の取材で明かした理由は、指導者の声がかかったときに備えるため。2026年10月30日には阪神が翌シーズンの一軍打撃チーフコーチへの就任を発表しました。

矢野謙次の応援歌に奥さんはどう関わった?

奥さんが最初の応援歌をどう思ったか、矢野さんが明かしたのは日本テレビ系の『ズームイン!!サタデー』です。2014年9月13日の放送当日に視聴者が掲載した番組画面では、妻の感想が「あの応援歌はちょっとナイね」という吹き出しで紹介されています。続く画面で、妻が応援団長に改善を申し出たと説明されます。矢野さんの口から出たのは、妻のおかげであり、作ってくれた応援団のおかげでもある、という言葉でした。番組で妻の役割として紹介されたのは、新しい曲を頼んだところまでです。

応援団に新しい曲の音源を届けたのは、矢野さん自身だったという話も残っています。スポーツライターの赤坂英一さんが『Wedge』で紹介した巨人関係者の話によると、矢野さんは知り合いのミュージシャンに新しい曲を頼み、音源を入れたCDを自分で私設応援団に届けたそうです。妻の申し出と、本人がCDを持ち込んだという話が、どのような順序だったかまでは明らかになっていません。

コーチになった矢野さんが、東京ドームで再びバットを振った日

日本ハムが引退を発表したときの本人コメントに残っているのは、故障でリハビリをしていたころの記憶です。試合が終わったあとも、巨人のファンはライトスタンドで矢野さんの歌を歌ってくれていました。

引退から約6年後の2024年6月6日、巨人対ロッテ戦の東京ドームで、再びこの曲が歌われました。五回が終わり、球団企画「レジェンズデー」でファンが歌い始めると、当時打撃コーチだった矢野さんが一塁側ベンチの前へ。ヘルメットをかぶり、肘当てまでつけて、代打の出番を待つ選手のようにバットを振りました。日刊スポーツには、復刻した応援歌に合わせて素振りをする矢野コーチの写真も残っています。

矢野謙次の子供は何人?引退試合に来た2人と、娘・次男について

矢野謙次の子供は何人?引退試合に来た2人と、娘・次男について

2018年10月10日、日本ハムの本拠地・札幌ドームで行われた引退試合には、矢野さんの子供が2人参加しました。日本ハムが写真とともに伝えた引退セレモニーでは、チームメートや対戦相手からの花束贈呈に続き、最後に家族が花束を持って駆け寄ると、矢野さんが笑顔を見せた様子が紹介されています。

この日の最終打席も代打でした。ロッテ戦の七回、二死一塁。仲間がベンチから身を乗り出す中、ファウルで粘り、7球目をレフト前にはじき返しました。試合を終え、マイクの前では家族、両親、きょうだいにお礼を伝えています。仲間に10回胴上げされたあと、最後に一緒にグラウンドを一周したのが2人の子供でした。パ・リーグの引退セレモニーレポートには、当日の挨拶も全文が掲載されています。

娘さんについては、人物データベースのPASONICA JPNに長女の記載があります。ただ、この記事では情報の出どころが示されておらず、球団とパ・リーグの引退試合の記事にも、2人それぞれの続柄は記されていません。高校野球や大学野球のニュースに登場する息子は、長男の丈太朗さんです。矢野さんに次男がいるという本人の発言や球団発表は見当たりませんでした。

高校野球で矢野さんの応援歌と「次男」が同じ記事に登場する例はあります。2024年夏の岩手大会で、花巻東のスタンドからこの曲が流れました。その試合で初安打を放った古城大翔選手は、当時巨人の三軍打撃コーチだった古城茂幸さんの次男です。

父として語った、子供と過ごす時間

球場を離れたときの父親の顔をのぞかせたのが、2018年7月の『週刊ベースボール』で気分転換の方法を聞かれたときです。遠征先では部屋でハワイアン音楽を聴いたり、本を読んだりする一方、家に帰ると子供とふれ合う時間に気持ちが切り替わったそうです。

真剣に考えたほうがいいこともあれば、少し肩の力を抜いていいこともある。子育てでその加減を考えている間は、野球以外のことに頭を使える。そんな時間も自分には必要だと語っています。

矢野謙次の長男・矢野丈太朗の現在は? 父と同じ國學院久我山から青学大へ

矢野謙次の長男・矢野丈太朗の現在は? 父と同じ國學院久我山から青学大へ

長男の丈太朗さんは、父と同じ國學院久我山高校から青山学院大学へ進みました。2026年10月時点で硬式野球部の2年生。右投げ右打ちの外野手で、法学部法学科に在籍しています。高校時代や入寮時の記事には「丈太郎」という表記もありますが、青山学院大学硬式野球部の選手紹介では「丈太朗」です。

父子が憧れた大谷翔平と、長男が初めて守った札幌ドームの外野

謙次さんが息子と一緒に憧れていた投手は、大谷翔平選手です。2015年6月14日、巨人から日本ハムに移ったばかりの謙次さんが、札幌ドームのDeNA戦で逆転3ランを放ちました。その日、味方の先発として投げていたのが大谷選手。自分の一打で大谷選手にシーズン8勝目がつき、試合後のヒーローインタビューでは、親子で憧れてきた投手のピッチングを間近で見られた喜びを口にしています。

3年後、札幌ドームに小学6年生の丈太朗さんが選手としてやって来ました。父の引退試合からおよそ2カ月半後の12月27日、12球団ジュニアトーナメントの西武戦に、DeNAジュニアの8番・右翼で先発します。この日は父がスタンドに座り、息子に声援を送りました。

結果は3打数無安打。チームも西武に敗れました。試合後、当時の丈太朗さんを取材した日刊スポーツに、何度も訪れた球場で初めて自分がプレーできたのが楽しかったと、笑顔で話しています。中学では硬式野球に進むと決めていました。ジュニアの選考に通らなかった選手の中にも力のある子はいるから、その中で競争に勝ちたいと話しています。

父のどこを尊敬している? 國學院久我山で迎えた最後の夏

高校3年の夏、父について聞かれた丈太朗さんが挙げたのは、代打として一度の打席に注ぐ集中力でした。一方、丈太朗さん自身が当時、一番自信を持っていたのは守備です。2024年7月15日の西東京大会・調布南戦では、七回二死二、三塁で中前に落ちそうな打球に飛び込み、ピンチを切り抜けました。父への思いとダイビングキャッチを伝えた試合記事には、春の大会後から木製バットで練習していたことも記されています。

その夏の準々決勝で対戦したのは早稲田実業。國學院久我山は最大9点差を追いつきながら、八回に再びリードを許します。あと一人で敗退が決まる九回二死一塁。そこで丈太朗さんは三遊間を抜きました。13対14で敗れたあと、元プロの父がいることで、結果を出して当然と思われる重圧があったことも明かしています。打撃に納得できない日が続いたなか、早実戦を終えた丈太朗さんがこの夏一番うれしかったと語ったのは、仲間に打順をつないだこの左前打でした。

青学大を選んだ理由と、大学進学のときに父からもらった言葉

丈太朗さんが高校の次に選んだのは、父が通った國學院大学とは別の大学でした。神宮球場で青山学院大学が日本一になるのを見て、高いレベルの選手たちと一緒にプレーしたいと思ったことが、進学を決めた理由です。2025年1月25日の入寮式では、父から大学に入ったら自分次第だと言われたことを明かしています。入寮式で語った目標は、4年後にドラフト1位で指名されるような選手になることでした。

入寮時に目標の選手として挙げた一人は井口資仁さんです。丈太朗さんにとっては國學院久我山と青学大、どちらの野球部でも先輩にあたります。父の謙次さんにとっても高校の先輩で、あの札幌ドームの引退試合では、対戦相手のロッテを率いる監督として花束を手渡した人でした。

先発のチャンスは1年生の春に巡ってきました。2025年5月11日、ジャイアンツタウンスタジアムの亜細亜大学戦に9番・左翼で初先発。六回にレフトへリーグ戦初安打となる二塁打を放ち、青学大は3対2で勝ちました。

まとめ:矢野謙次の結婚と家族|妻が巨人の応援歌、息子・丈太朗の現在と娘・次男

矢野謙次さんの妻が巨人時代の応援歌に果たした役割は、最初の曲を聴いて、応援団長に改善を頼んだことでした。引退を伝えたときも、妻は決断を受け止め、次のことを一緒に考えようと応じています。

札幌ドームでは、子供2人が父の引退を見届け、ほどなく長男の丈太朗さんが同じグラウンドに立ちました。父の一打席にかける集中力を尊敬すると語った少年は、今、青山学院大学で外野を守っています。

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