茨木秀俊の実家と家族構成|父・幸雄さん、弟・佑太投手との兄弟エピソードまとめ

茨木秀俊の実家と家族まとめ|父・幸雄さん、母・豊味さん、弟・佑太との兄弟

阪神タイガースの茨木秀俊投手の実家は、北海道札幌市にあります。家族は父・幸雄さん、母、2学年下の弟・佑太投手の4人。父は高校で硬式野球部に所属した元投手で、弟は兄と同じチームを選び続けた末に、千葉ロッテへ育成ドラフトで入団しました。

2026年4月9日、甲子園のヤクルト戦でプロ初先発・初勝利。ウイニングボールは両親に渡したいと話しています。この記事では、デイリースポーツなどの報道とNPBの公式記録で確かめられる範囲に絞って、茨木投手の実家と家族を整理しました。

目次

茨木秀俊の実家は北海道札幌市|家族は父・母・弟の4人

茨木秀俊のプロフィール

項目内容
生年月日2004年6月8日
出身地北海道札幌市
身長・体重183cm・87kg
投打右投右打
球歴手稲ヤングスターズ→札幌東シニア→帝京長岡高
ドラフト2022年 阪神4位(背番号48)

身長・体重はNPBの個人年度別成績ページにある2026年シーズン終了時の登録に合わせています。ドラフト当時の報道でも家族構成は父・母・弟とされていて、それぞれについて分かっていることは次のとおりです。

家族報道で確認できること
父・幸雄さん2026年4月の報道時点で56歳。虻田高校の硬式野球部出身で、社会人では会社の軟式チームの投手。「秀俊」の名付け親
母プロ初勝利の試合を甲子園のスタンドで観戦
弟・佑太投手2006年生まれ。帝京長岡高から2024年ドラフトでロッテ育成2位

実家の場所はどこまで公表されている?

公表されているのは「札幌市」までです。北海道新聞は茨木投手を札幌の手稲中出身と紹介していて、野球を始めたのも手稲中央小2年のとき、地元の軟式チーム「手稲ヤングスターズ」でした。手稲で育ったことは分かりますが、実家の住所や町名は明かされていません。

プロ入り後もオフには札幌へ帰っています。2025年の年末から年明けにかけては、雪の積もった自宅前でシャドーピッチングをし、2キロほど先のジムまで歩いて通っていたと父の幸雄さんが明かしました。腰を痛めた経験から、腹筋の強化とストレッチに時間を割いていたといいます。

茨木秀俊の父・幸雄さん|虻田高校野球部出身の元投手

父の試合を見て始めた野球

幸雄さんは北海道の虻田高校で硬式野球部に所属し、社会人になってからは会社の軟式野球チームで投手を務めていました。小学校低学年の茨木投手はその試合を見に行き、マウンドの父を目に焼き付けています。野球を始めたきっかけを聞かれると、本人も父の存在を挙げています。

札幌ドームでの日本ハム観戦も楽しみのひとつで、憧れはダルビッシュ有投手や大谷翔平選手の速い球。息子は昔から投手しか見ていなかったと、幸雄さんは笑顔で振り返っています。水泳を習い、4年生からの2年間はスキースクールにも通いましたが、夢中になったのは野球でした。

6年生のときには、北海道のスポーツ少年団大会の決勝でノーヒットノーラン。札幌選手権で優勝した後のテレビインタビューでは、ふだん口数の少ない息子が、プロ野球選手になりたいとはっきり口にしました。幸雄さんにとって、今も忘れられない場面です。

「秀俊」という名前の由来

茨木投手は4526グラムで生まれました。名前を付けたのは幸雄さんです。デイリースポーツのドラフト選手特集によると、「秀才の秀、俊敏の俊」と、どちらも優れていることを表す字を選び、何事にも秀でた子に育ってほしいと願ったといいます。

プロ初勝利の日、父は札幌の自宅で

初先発の4月9日、幸雄さんは仕事を早めに切り上げ、テレビの前に食事を並べて息子の投球を見守りました。帰省中の息子は多くを語らなかったものの、父は「今年は何とか」という思いを感じ取っていたと、初勝利翌日のデイリースポーツの記事で話しています。

同じ記事には、前年の正月に息子から欲しいものを聞かれ、ゴルフのパターを贈られたという話も出てきます。2025年9月の1軍デビュー後には、家族へのメールに楽しかったと素直に書き送ってきました。父の願いは、どんな時もおごらず、謙虚な人間でいてほしいということです。

茨木秀俊の弟・茨木佑太投手|兄弟で同じ道を歩んだ

弟・佑太投手のプロフィールとプロ入り

弟の茨木佑太投手は2006年5月9日生まれ。兄と同じ右投げ右打ちの投手で、身長は兄より4cm高い187cmです。2024年10月のドラフト会議で、千葉ロッテから育成2位で指名されました。

入団時のコメントでは、ドラフト後に兄から「頑張れよ」と声を掛けられたことを明かしたうえで、以前は先にプロ入りした兄を尊敬していたが、今は早く追い越したい気持ちが強いと話しています。1年目の2025年は8月に二軍公式戦デビューを果たし、5試合に登板しました。

小中高すべて同じチーム|兄弟そろって新潟大会決勝で涙

手稲ヤングスターズ、札幌東シニア、帝京長岡高。佑太投手は小学校から高校まで、兄と同じチームを選んできました。高校3年夏の新潟大会決勝で敗れた直後には「小学校から兄の進路に自分も進んできた」と語っています(弟・佑太投手の最後の夏を伝えたデイリースポーツの記事)。

その決勝は2024年7月26日、新潟産大付に2-4。162球の完投も実りませんでした。前日には兄から激励の連絡が届いていました。兄も2022年夏の新潟大会決勝で敗れていて、兄弟ともにあと1勝で甲子園を逃したことになります。

兄のプロ初勝利の後、佑太投手は日刊スポーツに手記を寄せ、兄を「ずっと身近なライバル」と表現しました。兄が3年、自分が1年だった最後の夏に兄弟継投で勝った試合を特別な思い出に挙げ、プロ入り後もときどき投げ方のアドバイスをもらっていると書いています。

プロ初勝利のウイニングボールは両親へ|母は甲子園で観戦

2026年4月9日のヤクルト戦は、雨がぱらつくなかで始まりました。茨木投手は6回5安打無失点、5奪三振。雨脚が強まった6回は2死満塁を背負いましたが、代打・宮本丈選手をチェンジアップで空振り三振に仕留めて切り抜けます。試合は7回に降雨コールドとなり、2-0でプロ初勝利が記録されました。

ヒーローインタビューではウイニングボールを両親に渡したいと話し、ボールは試合後に球団職員から受け取っています。初勝利から一夜明けた本人の談話によると、この日は母が甲子園で、父が札幌の自宅で観戦。父からはLINEで「おめでとう」と届いたと、照れながら明かしました。母の職業や経歴といった詳しい情報は、報道ではほとんど触れられていません。

15歳で実家を離れて帝京長岡へ|高校時代からプロ初勝利まで

中学時代は札幌東シニアでプレー。道内の高校から多くの誘いがあった一方で、道外から声がかかったのは新潟の帝京長岡だけでした。元日本ハム投手の芝草宇宙監督の熱心な誘いに心を動かされ、15歳で実家を離れて新潟へ渡ります。

入学時の球速は130キロほど。芝草監督から体の開きを指摘され、グラブの使い方を直したことで140キロ台まで伸び、3年時には最速147キロを記録しました。3年夏の新潟大会は準決勝で延長12回を投げ切って完封し、チームを創部初の決勝へ導きます。決勝は日本文理に延長11回サヨナラで敗れ、甲子園には届きませんでした。

2022年ドラフト4位で阪神に入団。2025年は春季キャンプ中に上半身のコンディション不良で離脱しましたが、9月21日のヤクルト戦(神宮)で1軍デビューし、2回を無失点に抑えています。高卒4年目の初勝利は、高校時代に立てなかった甲子園のマウンドでつかんだ白星でした。2026年の1軍成績は3試合に登板して1勝0敗です。

まとめ:茨木秀俊の実家と家族まとめ|父・幸雄さん、母・豊味さん、弟・佑太との兄弟

茨木秀俊投手の実家は札幌市にあり、家族は父・幸雄さん、母、弟・佑太投手の4人です。会社の軟式チームで投げる父を見て野球を始めた兄を、弟が小学校から高校まで追いかけ、兄弟2人がプロ野球選手になりました。

兄は阪神、弟はロッテ。所属もリーグも違いますが、手稲の少年野球から続く2人の歩みは、いまも札幌の実家で見守られています。

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